Cyrano De Bergerac / MTC2005

その1:なずなさんによる観劇記






三月、オーストラリアはメルボルン。アーツセンターのプレイハウスにて、『シラノ ・ド・ベルジュラック』を観てきました。なずなが観たのはマチネ1回、ソワレ2回 (場所としては一階の10列目と2列目、二階の2列目)。実はもともとチケットを取っ ていたのは2公演分だけだったのですが、現地で追加調達してしまいました。(当日 券のようなものだったのに、結果としては三回の中で一番良い席を取ることが出来ま した)その中から少しばかり、書いてみようと思います。

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Cyrano De Bergerac presented by MTC
Playhouse, TheArtsCentre, MELBOURNE
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ホールに入って最初に驚いたのが、客席と舞台との距離が凄く近い!ということでし た。帰国後800人以上収容と聞いて、あらためてびっくりした程の距離感。私はそれ ほど良い席が取れず少し寂しく感じていたのですが、そんな思いは一瞬に吹き飛びま した。実際に、後ろのほうの席でも十分舞台の役者さんたちの息遣いが感じ取れまし た。舞台でも、きっと客の反応を肌で感じ取っているのではないでしょうか。

さて、今回の『シラノ』の舞台本編のこと。
原作はご存知の通り、ロスタンによる19世紀末フランスの戯曲です。今回の公演は キャストの人数が13人と多くないので、登場人物や構成を若干変えてはありました が、ほとんど原作そのままです。スクリプトを書いたのは改作のアプトン氏だと思い ますが、本当に『いい仕事してますね〜』と申し上げたくなるほど。原作の要素を十 分に残しつつ、台詞や演出による笑いの要素がふんだんにちりばめられ、思わずじー んとするような泣ける場面もある。地の台詞は分かりませんでしたが、バラッドや鼻 に関する長口説はちゃんと韻を踏んで作られていましたし、ジョーク(ウィットと表 現するほうが相応しい)も効いていて本当に面白かったです。このスクリプト、 Sydney Theatre Companyでの公演が初演だったようで、デヴィッドではないシラノも 見てみたくなりました。

・・・と褒めてみても、やはり実際の上演が良くなくては! その点で特筆すべきは 何と言ってもタイトルロール、デヴィッド・ウェナム氏です。それを観にいったわけ でもありますしね。
彼の様子を一言でまとめてしまうと、シラノという男がそこにいる、という印象でし た。色々考えられて生まれた演技というよりも、デヴィッドがシラノという男に染ま り、そこから出てくる仕草、という感じ。・・・ちょっと美化しすぎかもしれません が(苦笑)。

三時間の公演の中で、シラノが舞台に立っていない時間は30分あるかどうか。一幕最 初の登場までの10分と、最後の修道院に登場までの10分・・・それ以外は、ほとんど 出っ放し喋りっぱなしでした。その登場シーンはレビューなどでも明らかにされてい る通り、客席通路から舞台上のモンフルリィに対して野次り声をぶつけるというもの です。会場には壁にそって二本通路が走っていて、舞台に向かって右の通路の奥から でした。客席からという演出は、原作通りといえばその通りで、舞台上のレイアウト を見ても「もしかしたら…?」と予想はできるのですが、まさか本当にやってくれる とは! 私はちょうど列の右端に座っていたので、久々に急激な心拍数の上昇を体験 しました(笑。シラノは台詞を言う毎にステージに向かって足を進め、そしてひらり と舞台の上へ。その後はバラッドを詠み、鮮やかに立ち回りをこなし、切々とロク サーヌへの秘めた愛を語り、予想外の演技と声色で会場を笑いの渦に巻き込む。時に は歌まで歌いだす!
歌というのは、ギッシュ伯爵にカデエを紹介する例の詩です。"I present you, the Gasconye Cadets! ---"、こう詠み上げていくうちにBGMのヴァイオリンと重なって旋 律が付き始め、最後にカデエ全員が歌いだす、というものでした。デヴィッドの歌に 関しては前から色々と憶測やら何やらありましたが、あれを聞く限り下手ではないと 思います。・・・とは言え実際は、一人で歌っているところでも旋律が半分、詩にリ ズムをつけた状態というのが半分、という程度。全員で歌い始めると声が混ざってし まってほとんど分からないというのが正直なところでもありました。私が観てから約 一ヶ月後の千秋楽までに変化があったかもしれませんが・・・私の中では、真実は未 だ闇の中、です。

デヴィッドの声ですが、地声より若干低めでシラノを演じていました。張りのある響 く声で、とても良い声です。高めの声で演じる俳優さんが多いなかで(あえてそう設 定したのかもしませんが)、デヴィッドの声はバランスが取れている感じがしまし た。気が高ぶる場面で叫んだり大声になっても低めの響きが残っていて、私としては 聞きやすく感じました。数えるほどしか観ていませんが、このコントロール力が舞台 俳優の実力ということなのかもしれません。でも少し癖があって、横に平べったいよ うな声になることも多々。・・・これはわざとなのか、舞台用の発声の特徴なのか・ ・・。会話になると少し張りが抜けますが、それもまたよし。台詞によって、ふっと 柔らかくなったり、低くて太い力強い声になったり、ちょっと裏返して高い声にした り・・・と、まさに七色の声。今回、改めて「デヴィッドってこんな良い声だったん だ」と思ってしまいました。

仕草自体も、本当に格好いい。一挙手一頭足がそのまま晒される舞台の上ですから、 テレビや映画よりも所作は大きくなるはずなのに、細部にも隙がない。派手に動いた り歩き回ったりするのに、指の先まで神経が行き届いている感じ、と言えばよいで しょうか。腕を伸ばしたり、指先だけをくるくると動かしたり・・・そうした細かな 仕草のきれいなこと。マントの裾さばきやレイピアの剣さばきも忘れてはいけませ ん。立ち姿も剣士らしくすらりとしていて、ガスコンの格好つけたような仕草もまた 然り。この『シラノ』のレビューは褒めているものがほとんどというのにも頷けま す。
 
もちろん、良かったのはデヴィッドだけではなく。 他の役者さんたちの素晴らしいこと! ロクサーヌは愛嬌たっぷりで本当に魅力的。 クリスチャンは、二枚目というよりも実は三枚目とか二枚目半なんではなかろうか。 でも、恋に悩む青年のみっともなさと、後半から色々なことが見えてきてからの潔さ と格好よさ、両方ともいい味を出していました。ド・ギッシュ伯爵は今回は完全に三 枚目。衣装が時々意表をつくようなぶっとんだものだったりして、登場するだけで笑 いを誘うシーンもいくつかありました。ラグノーやリニエールもコメディ担当。ラグ ノー作『アーモンドタルトの作り方の詩』は、韻の踏み方といい朗読の仕方といい、 爆笑ものでした。でも皆、決めるところはきちっと決めてくれる。シラノやル・ブレ なども含めたキャスト同士の会話の間の取り方は絶妙でした。こうしたアンサンブル がいるからこそ、主役のシラノが魅力的に見えるのだろうし、素敵な舞台が生み出せ るのでしょう。

ところで舞台は生ものですから、時にはハプニングもありました。それを二つばか り。(因みに、二つのハプニングが一度の公演で起こったわけではありません。念の ため。)

その一。一幕でロクサーヌから「お話したいことがあるのです」と言われたシラノ。 逢瀬の場所をラグノーのパン屋に決めます。ラグノーの店へ先に行っていたシラノ は、ロクサーヌが来るから!と散らかっていたお菓子やパンをラグノーやそこにいた 詩人達皆と一緒に片付け始めます。
しかし。菓子パンが一個、誰かの手からこぼれてステージの上をコロコロと・・・。 それをシラノ、つまりデヴィッドが拾おうとしたのですが、勢い誤って蹴っ飛ばし、 ステージから落としてしまっていました。当然、そのパンは客席へ。デヴィッドは自 分でも驚いたらしく、思わず「oh!」と叫んでしまっていました(声が思い切り裏 返っていた)。もちろんその後に客席に向かって「Sorry!」とフォロー。そのパン (本物か小道具かは分かりませんが)はラッキーな観客のお土産か何かになったので しょうか。私だったら貰って帰ります、絶対(笑。

その二。一幕、ブルゴーニュ座。モンフルリィを劇場から追い出した後、シラノは劇 場の支配人に「キャンセル料は俺の金を使え、釣りはいらない!」と懐から金の入っ た巾着を取り出し、舞台(ステージ上に劇場の舞台が設置されていました)に放り投 げます。
が。舞台の上に投げ出されるはずだった巾着が落ちてこない・・・。つまり、巾着が 舞台の上にかかっている幕の中にスポっと引っかかってしまったのでした。お金に群 がるはずのキャストたち、そして投げた張本人デヴィッドに一瞬漂う、沈黙と戸惑う ような視線。このハプニングには劇場内が大爆笑でした。すぐにシラノは幕に向かっ て「誰か取ってくれるか!?」(大体こんなニュアンス)と、一言。予定通りだとで もいうように、片手を腰に当てて少しばかり横柄なガスコンの仕草で台詞を言っては いましたが、内心はびっくりしていたんではなかろうか(笑。結局、そのまま次の場 面へ進み、その後ろでル・ブレが自分の剣を使って幕をつついたり動かしたりしてい るうちに巾着は落ちてきて、事なきを得たのでした。

こうしたハプニングがありつつも本筋には全く影響させずに、さっと台詞を加えて続 けられるのは流石舞台俳優、というところ。そうしたアドリブにもすんなり対応でき る他のキャストたちも同じく。本来ハプニングは無いに越したことはないのですが、 彼らの素晴らしいコンビネーション振りをわざわざ見せてもらったような気になって しまいました。

あとは、印象的だったデヴィッド・ウェナム氏本人の、カーテンコールでのエピソー ドを。 カーテンコールは、アンサンブル役者から始まり、最後に主役のシラノという順番で 出てきます。シラノが一人一歩前に進んで拍手に応え、ヴァイオリン弾きの彼に拍手 を送り、最後に全員でお辞儀をして、わっと駆け足でキャストが散り、閉幕です。そ ういえば、幕があった記憶がありませんが・・・。 それはさておき、最後にキャストが散る時のことです。舞台の袖に向かっていく瞬 間、デヴィッドは、他のキャストに向かって頷きながら、相手の肩をポンっと叩いて いたのです(もちろん一瞬ですから一人にだけです)。おそらく『お疲れ様』だとか の相手をねぎらう仕草だと思うのですが・・・。本当は何の意味もない仕草なのかも しれませんが、彼の仲間に対する心遣いの一端を見た気がしました。デヴィッドは 最後の最後まで、こちらを幸せな気分にさせてくれました。

この『シラノ・ド・ベルジュラック』、観ることが出来た人は、本当に幸せだと思い ます。もちろん、私も含めて。ただ悔やまれるのは、私の英語力のなさと、出待ちを する勇気がなかったこと・・・。でも、そんな思いを補って余りある経験でした。当 分、この幸せに浸っていられそうです(笑。

素晴らしい舞台を見せてくれたデヴィッド・ウェナム氏と、キャストとスタッフ、 MTCの全ての関係者に、心からの感謝とともに。

なずな 2005.3.27記