真世界シリーズ :アンバーの九王子/アヴァロンの銃/ユニコーンの徴/オベロンの手/混沌の宮廷



 著:ロジャー・ゼラズニイ 訳:岡部宏之 ハヤカワ文庫SF


話の中身:
ゼラズニイが書いたヒロイック・ファンタジー(多分)。 ヒロイックファンタジーだけど、登場人物はハードボイルド(笑) そもそも真の世界は「アンバー」であり、その秩序はアンバーの中心にある「パターン」が成さしめている。 唯一にして真実の世界である「アンバー」はさまざまな影を投げかけ、「影」の世界を作り出している。「地球」 を含むさまざまの世界は全て影の世界である。という世界設定のもとに、そのアンバーの王オベロンが長く姿を消したため、 その空位の王座をめぐり王子・王女たちの策謀と闘いが繰り広げられる、というのが1,2巻。王座をめぐる争いは続くものの、 「アンバー」と「混沌の宮廷」との闘いがメインになってくる3〜5巻。サイケデリック・ファンタジック・ハードボイルド、と言っておこう(ちょっと違うか?)
主人公はアンバーの王子コーウィン。第5王子、になるのかな、生まれ順からいくと。でも嫡出等の関係で王位継承的には立場強し、 (長兄・次兄は既に死亡。3、4兄は父親のわがままで庶子扱い・・)と本人が申告。でもそれぞれの兄弟が「オレが一番王にふさわしい」とか思ったり言ったりしてますから(笑)あるwebサイトでコーウィンを評して「何も知らないくせにムダにカッコイイ」とかいうのがありましたが、まさしくそんなカンジ(^^;)。

話はそのコーウィンがいろいろあって記憶喪失で地球にいる所から始まります。そして兄弟姉妹間の策謀・陰謀・駆け引き、アンバーへの帰還行、 パターンの踏襲による記憶の回復、王位奪還への闘い、その後いろいろ、と一巻目だけでもわくわくどきどき。 また「影の歩行」(アンバーの王族は「パターン」の力を得て影を支配する事ができる。影を変化させることで、好きな影の世界に行ける)の影のあやつる描写がなんとも幻想的で素晴らしかったり、影の世界の異形のイキモノたち、のおどろおどろしさとか、こたえられません。 それから「トランプ」。トランプというかタローみたいなんだけど、およそ家族用携帯電話&どこでもドア。こう書いちゃうとちっともカッコ 良くなくて、身も蓋もないんだけど、トランプの質感とか、その描かれた人物が「絵」から「実物」になる瞬間とか、なんとも言えずステキに書かれてる。とにかく全てが魅力的な小説です。

話としておもしろく、またキャラ萌えもしてしまうというエンターティメント。この兄弟たちがそれぞれ個性的でいいです。女性陣は王位継承に かかわらないせいかちょっと控えめ、というか暗躍? ヒロインのダラも表だっての活躍、というよりやっぱり暗躍。ともあれこの兄弟姉妹達はそれぞれが魅力的です。ずーーっと長生きしている割には野心もあって枯れてないし、いい加減なくらい延々と兄弟姉妹喧嘩続けてるってのはちょっとどうかとも思うのですが。言ってみれば(表し方がひねくれてるのでわかりにくいですが)オールブラコン・シスコン・ファザコンなんじゃないかという気もします。大体親父殿がいけない。きまぐれで女好きで適当。でもアンバーへの責任感はあるんだよね、さすが 王様! しかしオベロン王よ、あなたそんなにコーウィンが可愛いですか、そうですか。そんなに可愛いかったんなら「こいつを後継者にする」 ってとっとと意思表明しときゃ良かったのに、それもしないでフラフラしてるから子供達が喧嘩するんだよう。 (もっとも表明したら表明したでまた問題がでてたでしょうが) しかし親父殿の父性愛の表し方にもちとメマイがする。ちょとヤラシイ。自分が子供だったらちょっと勘弁してと思う。ああいう方法で 息子たちの前に表れるかな〜?? いやなんというか単に都合が良かっただけかもしんないですけど。なんか歯にはさまったような書き方ですが、 はっきり書いてしまうと大いなるネタバレになるのでやめておきます。 とにかくキャラが立ってて世界が立ってておもしろいこの話を映像化するとしたら?? 以下脳内キャスティングです。

脳内キャスティング:
コーウィン:主人公。すごくカッコイイんだけどちょっとマヌケでちょっとへたれさん(笑) お父さんと兄弟と姉妹にヨワイ。女性にもヨワイ。身体は丈夫。ペストにかかっても、頭蓋骨骨折しても、×を××されてもあっさり回復します。 :ヴィゴ・モーテンセン
エリック:コーウィンの同腹の兄。なのに庶子扱い。やっぱグレるよね。コーウィンと直接王位を争う。
ベネディクト:生きてる兄弟の中で一番の年長 コーウィンの異母兄。武人。とにかく強い。そして賢い。ので王様向きではない様子。本人それを分かってて王位争いからは一歩ひいた位置に。でも一番の実力者かも。:ヒューゴー・ウィービング。理知的で強いイメージなもんで。
ケイン:ちょっとヤな奴。コーウィンの異母弟
ブレイズ”雄々しくて元気が良くて怒りっぽい”わりとコーウィンとは仲良しだった異母弟。カール・アーバン
ブランド:賢しくて自らの欲望をかなえようとしていたコーウィンの異母弟。デビット・ウェンハム
ジュリアン:醒めてるんだか熱いんだか良くわからないがアンバーを大事にしている。コーウィンの異母弟。オーランド:ブルーム
ジェラード:マジメないい奴 コーウィンの異母弟。ショーン・アスティン
ランダム:末弟。いかにも末っ子らしい性格で末っ子らしい扱われ方をしている。ご幼少のみぎりは兄ちゃんずに相当いじめられていた模様。 名前の通りランダムな性格らしかったが、五巻目では大分凛々しくなりました。コーウィンとは仲良し(異母弟だけど):イライジャ・ウッド
ガネロン:コーウィンの昔の臣下。ちょっぴり裏切りものだったので、昔コーウィンにおしおき追放された。再会後は協力者。その後友人に格上げ。そして明日はどっちだ(笑):ショーン・ビーン ショーンとヴィゴの仲良しショット見たい・・・
オベロン:王様 諸悪の根元(多分)とりあえず彼がエリックを嫡出子扱いにしとけばあそこまでコーウィンとエリックの仲が悪くならなかったであろうと思われる。
ドワーキン:狂える創造者。ぜひサー・イアン・ホルム

女性陣を当てるのは難しい。ロードはあんまり女性出てないし。あえて当てるなら
フローラ:コーウィンの異母妹 地球でのコーウィンの監視者:リブ・タイラー
フィオナ:コーウィンの異母妹 「パターン」の力を良く知る:ミランダ・オットー
モイラ:レブマの女王ケイト・ブランシェット
ダラ:混沌の王女

・・かなあ


脳内キャスティングの理由:

そもそもなんでこの話をロードの俳優さんたちにやってもらったら、と考えたかというと、ヴィゴの姿を見たからだったりします。 SEEの特典映像、衣装のコーナーでヴィゴの衣装あわせのシーンがあって。多分ニュージーランドについてすぐのあたりなんだろうけど、 素のママ(かつら、メイクなし)で衣装だけあわせた、という風のシーン。(一説にアラゴルンのコスプレをしてるヴィゴという表現あり) これが・・・自分的にはぎゃーーーーコーウィンがいる〜〜!!! だったのです。(まったくの脳内妄想なので多分賛同者なし) 髪も金髪のままだったんだけど、壁に向かって歩きながらすらりと剣を抜くシーン、その後ろ姿がマイ脳内コーウィン像にぴったり〜 思っちゃったものはしょうがない、ということで後は妄想爆走。

ヴィゴとイライジャの兄弟のハグ〜 とかヴィゴとカールの兄弟のハグ〜とか デヴィッドの狂気ぶりはきっとステキ〜とか。 ああ、でもランダムをビリー・ボイドにして、マーリン(コーウィンの息子)をイライジャ、マーティン(ランダムの息子)をドミニク・モナハンというのもちょっといいかも。ヴィゴとイライジャの親子のハグ〜 ビリーとドミニクの親子のハグ〜 イライジャとドムのいとこハグ〜

ショーン・ビーン=ガネロンがヴィゴ=コーウィンに向かって
”つまりこういうことだ。おれはおまえ一辺倒だ。さもなければここまできはしない。おまえを王位に即けるために、なにがなんでも闘うつもりだ”
とか言ったら・・うう萌える。
ヴィゴ=コーウィンにイライジャ=マーリンが
”あなたは、父として尊敬しろと教えられました。でも敵方のヒトだと、念を押されています・・・中略・・・しかし ― あなたの取った態度にはぼくは感動せずにはいられませんでした。あなたのことをもっと良く知りたくなりました”
なんてつぶらな瞳で見つめながら言ったら・・・あう〜〜
まさしくダメダメですな>自分


とにかく真世界シリーズはこんなにおもしろいのに邦訳は絶版。復刊ドットコムでは再販交渉開始済みとなってますがはっきりした 動きはないようです。うまく再販かかるといいですけれども。邦訳は五巻までですが、実際にはコーウィンの息子マーリンが主人公のもう5巻分が 出ています。こちらの後半部は小説としての評価があまり良くないようですが、読んでみたいもの。またコーウィンは失踪してるらしい(^^;) この真世界シリーズですが(少なくともアンバーの九王子は)映画化の話があったようでワーナーかどこかが版権を取っているらしいです。 しかし98年からこちらちっとも動いてない様子。ものすごーーーくうまく撮ってもらえればすごくステキな映画になると思うけど、 チャチいCGとかヘンな俳優とか使われた日には泣くに泣けないしあがりになるかもでものすごく怖い(^^;) 大体脳内「混沌」を映像化するのは難儀そうなのでちょっとどうなのかな、と脳内キャスティングしておいて言ってみる。オーバー。

イタリックの文は上記訳本より引用


M*A*S*H

著:リチャード・フッカー 訳 村杜伸 角川文庫


話の中身:

MASHとはmobile army surgical hospital(移動野戦外科病院)の頭文字を取ったもので、 これは、1950年代初頭、朝鮮戦争時代に、このMASHで働いた男たち(医者や牧師、衛生兵たち) 女たち(看護婦たち)の物語です。 彼らの仕事にかける情熱(ひどく傷つけられた兵士たちに、能う限りの技をつくし、できるかぎりの命を救おうとする真剣さと情熱。もっともその「人命救助」は「戦争」における効率とは常に二律背反的な存在ではありますが)と、 彼らのはめのはずしっぷり(野戦病院という極端なストレス下において多くのものたちが自制心の蓋を ふっとばした!)が描かれています。

この小説は、腕利きの外科医である”ホークアイ”ピアース大尉と”デューク”フォレスト大尉がMASHに着任するところから はじまります。このちょっぴり-かなり-変わり者の二人(ホークアイ>>>デューク:変わり者の度合い)に、やっぱり変わり者の ”トラッパー”マッキンタイヤ大尉が加わった3人の軍医を中心にしたエピソード集とも言えます。
彼らの職務への忠実さと情熱、そして職務へのそれと同等のレベルでのキレっぷりというかイカレ具合が ミックスされてなんとも言い難い非常に良い味出しております。 時代背景が1950年代で、この小説が書かれたのが1968年、と30数年前のものですから、今の時代では ちょっとどうかという部分もありますが、それでも彼らの成した偉業と彼らが結んだ友誼 の芯の部分が色あせる事は ありません。

文庫本のキャッチコピーには”ユーモアとナンセンスの中に、軍隊と戦争への痛烈な風刺を込めた、傑作反戦小説” とありますが、どちらかというと私は、”戦時下という非常事態における若い医者たちの青春群像”という印象が 強く残りました。命令違反とかそう言う部分が軍隊への風刺とかになるのかな??? でもこの舞台が言ってみれば病院なのでねぇ・・・主人公たちは今まで本国で勤務医してたのが徴兵されて 軍病院にくるようになったわけで、する仕事も敵をやっつける事じゃなくて、味方の傷を治す事で、そうすると 行う仕事は軍隊の中で、ではあっても「医者の仕事」という事です。そうなると、命令違反というのが、 (例えば治療方針が異なった時に階級の上のものの言うことを聞かないというような)彼らが意識するかどうか ・・ってそれが風刺なのか??? それとも上官をからかったりするのがそうなのかな? (確かに 小説内でのからかいっぷりは軍隊ではありえないだろう、とは思いましたが)良くわかりません(笑)

脳内キャスティング:

ベンジャミン・フランクリン・ピアース大尉 通称ホークアイ:外科医。MASHイチの変人 ヴィゴ・モーテンセン
オーガスタス・ベッドフォード・フォレスト大尉 通称デューク:外科医 ホークアイよりはマトモ。多分。ショーン・ビーン
ジョン・フランシス・ザビエル・マッキンタイヤ大尉 通称トラッパー:胸部外科医 やっぱり変人。ヴィゴ・モーテンセン 
ヘンリー・ブレイモア・ブレイク中佐:病院指揮官 苦労人。:イアン・マッケラン
ジョン・パトリック・マルケイ神父 通称デイゴ・レッド:カトリック従軍牧師。すごくいい人。神さまへの愛情と人類への愛情に満ちあふれている。そして洒脱でユーモアを解する心あり: ジョン・リス・ディヴィス 
ジョン・ブラック 大尉 通称アグリー:麻酔科医。病院きってのハンサム。オーランド・ブルーム


ちょっと変則的なキャスティングしてみました、というかできない・・・というのはホークアイとトラッパーなんですが、 どっちもヴィゴの演るの見てみたいよ〜 で、でもそれじゃあ二人同時に存在できないじゃないか〜という悩みが・・ というのも、トラッパー・ジョン、の寡黙で外科医として非の打ち所のない腕前でそれでいてどこか胡散臭い変人というのは すごくヴィゴに演じさせたらハマルのではいかと思われるのですね。
”痩せた審美的な容貌とひげ、それに刺すようなするどい眼差し”
ですので(この容貌をいかして敬虔なクリスチャンを真っ青にさせる商売をしてしまう話もあります(笑)) アラゴルン風の見かけの延長で、トラッパー、というのはイケルかな、と思うのです。

でも・・・、Lotr撮影時の、逸話を考えるとやっぱりヴィゴはホークアイかな、と思います。 思考回路がちょっぴり「普通」とか「一般的には」とかいった概念からズレているような所が ホークアイとヴィゴと似てるかも〜と思ったり。 しかも確信犯でズレているのを気にしてないとこがまたそっくりかも、と思ったりします。
ホテルでオーランドの部屋を強襲してのんびりしてた彼を拉致ったとか、トレーラーを警察の封鎖用テープでぐるぐる 巻きにしたりとかいった、数々の大人げない逸話や、(もっとも仕返しに自分のトレーラーをシェービングクリームだらけにされた とか仕返しのされ方もとても大人とは思えません・・あんたたちは高校生かね・・・) メリー役のドミニクのインタビューで”ヴィゴはいつも好き勝手やってたけど、一緒の時はいつも楽しかったよ” と言われたり、というあたりがすっっっっごくはまり役だと思うのです。 ヴィゴは素であの川には人魚が住んでるから、人魚を捕まえよう! とか言い出してさくさく罠つくりはじめそうだからな〜 (小説の中でホークアイが退屈しのぎに川に住んでいる人魚をつかまえようと、デュークとトラッパーとで エビ取りの籠をおっきくしたような罠を作ろうとする場面があるのです。真剣に退屈しのぎをする彼らなので すが、そのときたまたま来ていた上官は彼らの気晴らしを理解できず(まあいきなり、人魚をつかまえる、とか つかまえてナニをする(笑)とか言われたら引きますわな。もちろん彼らは確信犯的にやっている訳ですが) 精神鑑定を受けさせようとするのです)

脳内キャスティングの理由:

上では無理矢理のようにキャスティングしてみました。でも、彼らが演ずる「マッシュ」を見たいというのは確かに あるのですが、それよりは実はこのマッシュと、LOTR撮影風景を重ね合わせて楽しみたい、という気持ちがすごく 強い、といった方が正しいのかもしれません。 つまりもうL*O*T*Rってしたい、というか。 このMASHに出てくるセリフやシーン(特にヒトとヒトとの関わり具合が)がLOTRのキャストやクルーたちのセリフと 重なり合って響いてくるのです。こう言うことをLOTRのヒトたちも言ってそう、というように。 LOTRの映画にかかわった人たちは口を揃えていいます。この撮影自体が旅のようなもので、この旅の中で 我々は強く結びついた、と。 MASHとLOTRとではその従事した対象は違いますが、対象に対する情熱には共通するものがあるように感じられたのです。

”彼らはあるときは緊張し、あるときは弛緩した、そしてまた熱狂したかと思えば、ひえびえとした気持ちにおちいり、 いまだかつて経験したことのない満足と挫折感のあいだを往き来したのであった。個々人としても組織としても、その姿勢は ひとえに状況に対処し、義務を完遂することへとむけられていた”

これはMASHの序文にある一文ですが、LOTRの撮影時期を説明するにも違和感のない文章のような気がするのです。 MASHを読んでいると(私だけのような気もしますが)こういったシンクロ具合が随所にあり、LOTRの撮影中にもこんなやりとりがあったかもしれないなあ・・・と。

特にホークアイとデュークは、FOTRの人間二人組、ヴィゴとショーンとに状況がとても似ていて楽しいです。

”デューク・フォレストは、ホークアイ・ピアースが世帯持ちでふたりの男の子の父親であることを知るいっぽう、 ピアース大尉はフォレスト大尉が世帯持ちでふたりのおさない女の子の父であることを話の内容から察した。 彼らはたがいの訓練と経験がびっくりするほど似通っているのを発見したが、おたがいてめえ自身を大外科医と 見なしていないものと、ほぼ察しをつけるや、ほっと胸をなでおろした”

これはホークアイとデュークの出会い後すぐの場面です。MASHに着任が決まって、同じジープにのって 向かう事になったときに、ふたりでウィスキー飲みながら語り合う、という所。 いや、ヴィゴとショーンも飲みながら、息子がいる話、娘がいる話、といろいろ話しただろうし、きっと自分のやってきた役柄について 似てる部分とそうでない部分を知っただろうし、おたがい自分自身を大スターとか 名俳優とか見なしていないとわかって、なんとなく安心したりしたんじゃないかな、と。

そして極めつけはこのセリフ。

”「そうだな」ホークアイがやっと口をひらいた。「ああいった状況でながく生活していれば、何人かの人間に 対して特に愛着をいだくようになるか、さもなければ憎らしくなるもんだ、おれたちはかなり恵まれていたぜ。ま、 そういったところだ。こんなことはもう二度とおれたちの身におこらないことはわかってる。家族は別にして、 過去一年間あのすてきなテントで他人と親密な仲になれたようには、将来、他人と親しくなれないだろうさ。ここにいるアグリーや、 デイゴ、その他の連中相手のようには、絶対に親しくはなれん。いい経験だった。しかも奇妙なことにそいつが おわったことがおれにはまたうれしい」

このセリフはまんまヴィゴに言わせたい! (あ、アグリーとデイゴをオーランドとかイライジャとかに変えてもらってね) 似たような感情はきっと持ったに違いない・・・って妄想だけではないと思うのですが。

そしてラスト、故郷の空港で出迎えの息子との会話。

”ふたりの男の子のうち、大きい方が父親の腕にとびついて、ものめずらしそうにたずねた。
「どうだった、ホークアイ?」
「最高だった」
父親がこたえた。”


こ、こんな会話絶対してるよな〜ヴィゴ。ヘンリー君と。

という具合に ちょっと変則的というか反則的な脳内キャスティングであるのですが、自分的にはあまりに ハマる部分があるのでやってみました。 この小説はすでに1970年にロバートアルトマン監督によって映画化され、カンヌでグランプリを取っています。 また、本国ではテレビシリーズも10年近くに渡って作られていたようですし、続編(戦争が終わった後の話)も TV化されました(本国に帰ってきてからみんなで病院をやる、という話です。)ので、LOTRの俳優さんで 映像化というのは万に一つの可能性もない、とは思うのですが、でもちょっと、やっぱり見たいぞと思う話なのでした。

2003/02/21fffイタリックの文は上記訳本より引用


煙幕

著:ディック・フランシス 訳 菊池 光 ハヤカワ・ミステリ文庫


話の中身:

主人公はイギリスの人気映画スター、エドワード・リンカン(リンク)。病気で余命幾ばくもない、叔母代わりで親しい知人である、ネリッサ・キャヴィシイの頼み-彼女の持ち馬の成績不振の理由を探って欲しい-をきいて南アフリカへと出向いた所から話が始まります。 現地で行動し始めてすぐに、自分の命が狙われていることに気付くリンク。一体誰が、何のために自分の命を狙っているのか、疑問を抱えつつ 動くにつれ、謎と困惑は深まるばかり。
ネリッサの遺産相続人である甥のダニロ、初めて仕事をして以来犬猿の仲の映画監督エヴァン、配給会社支配人ウェンキンズ。 これら奇遇にもリンクと同じ南アフリカに集った関係者たちはリンクを陥れる罠と関係しているのか? リンクは謎を解けるのか?といったアクション・サスペンス・ミステリです。(ってリンクがいつも撮ってるような映画なのかも(笑))

ミステリ、で、謎解きという部分はもちろんあるのですが、それに加えて登場人物たちの姿勢の違いがくっきりと際だっていて、 (それはリンクの靱さだったり、真っ直ぐな背中だったり、リンクを害する者たちの卑称さだったりする訳ですが)、その人物たちの 関わり合いが良いのです。それに加えて「南アフリカ」という背景。ヨハネスブルグという街や、野生動物保護区という自然との対比、動物たち、 そしてアフリカの乾いた熱さがせまってくる、といった幾重にもおもしろい小説です

脳内キャスティング:

エドワード・リンカン(リンク):映画俳優 人気スター ショーン・ビーン
エヴァン・ペントロワ:監督 辛辣で強情で熱情的で傲慢で非常に才能のある監督。いや、でも実は案外可愛いヒトなのかも。ピーター・ジャクソン
コンラッド 撮影監督:dear boyが口癖。洞察力にあふれる ジョン・リス・ディヴィス
ネリッサ・キャヴィシイ:エドワードの支援者;叔母がわり
ダニロ・キャヴィシイ:ネリッサの甥 ”アメリカのサンシャイン・キッド” オーランド・ブルーム
ヴァン・ヒューレン:金鉱主;ネリッサの義弟 バーナード・ヒル 
クリフォード・ウェンキンズ:映画配給会社支配人

脳内キャスティングの理由:

やはりなんといっても主人公、エドワード・リンカンにつきるでしょう。彼を演じるのはショーン・ビーンだ! と声を大きくして言いたいからだったりします。
リンクはスタントマンから英国映画界の人気スターにのしあがったヒトですが、性格は地味で地道で慎重、俳優の顔とプライベートの顔をきっちり分ける有能な俳優さん。
家族が大事で、プレミアその他スクリーン以外での 顔見せが苦手。”そういうところに出席すると、侵され、打ちのめされ、食い荒らされたような気持ちになり、世辞たらたらの 紹介の言葉からはなにも得るものがない”からだそうですが、彼はそういうある種の繊細さを内面に隠しているのでしょう。

このヘンから得られる部分は別にショーンでなくていけない理由はないのですが、リンクの俳優としての顔を考えると やはり彼、ショーンが似合っていると思うのです。何故彼がいいのか、というと、

リンクの俳優としての看板が「アクション・セクシー俳優」だから。そして多分ハンサムではあるけど美形すぎないから

 どのくらいセクシー俳優さんかというと、雑誌の夫婦生活相談で”エドワード・リンカンと寝ていると想像しなさい”とかに引き合いに出されるくらいなので、これはかなり相当なものでしょう。さらに、映画の記者会見で、女性の場は家庭内であると思うかという女性誌記者からの質問に”心の中”という殺人的に歯をひっこぬかれそうなセリフをぬけぬけと言いのけられるような俳優マスクをお持ちのようです。(地の彼は絶対言わそうな所がまたツボ) ショーンならこのへんの所うまーく演じて、なお、嫌味にならなそうなので非常に期待です。いや、ぜひここのところショーンで。 (もっともショーン・ビーン本人はあまりそういう切り返しは得意そうではなく、 FotRのカンヌ上映の時のインタビュー時フランスの女性インタビューアーにたじたじになってしまったという逸話があったそうですが)

エヴァン>PJ、は、エヴァンが非常に才能のある監督で、質の高い視覚的想像力を持っていて、自分が撮影する映画に対して非常にはっきりしたビジョンを持っている、というあたりから。彼はちょこちょこ演じる立場もやっているようなので、監督ではありますが、あえてキャスティング してみました。エヴァンは、かなり強引で、高圧的で、役の解釈とかも自分で全部決めちゃって、”いかに老練な俳優であろうと自分が仮借なく演技を指導したのだ、と言う”ヒトなのでPJとは大分雰囲気の違う監督だとは思います。ただどちらにしろ監督というのは最終的な演技や役柄に対する 決定権を持つ人だと思うので、そういう気質も理解して演じてくれそうだな〜と。でも監督権限でねちねちと撮り直しをひたすらするエヴァンは かなりやな性格だと思います。いくらリンクの事を大嫌いだとしても。

ダニロ>オーランド、は世代がリンクよりちょっと若くて、魅力的で、イマドキの若者という事で、それなら彼がいいかな、と。 明るく、何もたくらんでいないようでいて、その実かなり計算高い所など、ちょっとちらつく若さとか、それを越える魅力とか、 演じてくれたらいいな〜

この小説の中でミステリ以外の部分ですが「演じる」ということの本質を述べているシーンがあります。ここの部分は ただミステリに納まらず、好きな部分です。

”一個人にとって、自分をこの上なくあからさまに露呈することは容易ではなく、露呈しなければ偉大な俳優になれない。 私は名優ではない。私は有能で人気はあるが、内面露呈という恐ろしい分野に真剣に一歩入り込まなかったら、名演技といえるものを行う ことは不可能である。 私にとって、一定の限度を越えた演技は、つねに一種の精神的苦痛を伴う”

これはリンクの内なる声です。彼はこの苦痛を回避するために、普段はアクション俳優の枠で演技をしている。しかし、エヴァンとの仕事では 彼に演技への手出しをさせないために、彼への意趣返しのために、これ-内面露呈を含む演技-をした。

”あの中に、演技とはべつの演技を越えたものがある”
”いつま でも自分自身から逃避することはできないのだよ”


これは映画のラッシュを見たコンラッドから言われる台詞なのですが、一度これをやったら次にしないで置くことはやはり できないと思います。 そういえばフジミで、守村クンが似たような事言われてたな・・表現者という者に共通する課題なのでしょう。>内面露呈 自分をさらけ出すということは素っ裸の自分を見せるということで、自分をむき出しにする行為は自分を傷つける可能性が 高い事ですから。

小説内で、このエヴァンと、”演技の少なくとも90%は俳優自身の能力と目されるべきである”と言うリンクとは真っ向から対峙してますが、 でもひょっとしたら、ラスト近くで表すリンクへの友情は、逆に監督の(誰にも)手出しできないほどの演技をしたリンクを認めた為かもしれないな、なんてちょっと煩悩してみたりします。

しかし、いい加減ボロボロなのに、- プレミア明日だな〜 時間まで会場行けるかな〜、あと24時間のうちに風呂入って、何か食べて 休んだたらなんとか間に合うかもしれない・・あれだけ大勢の人が入場券買ってくれたから行かないと悪いな〜 - と車のハンドルに手錠でつながれながらつらつら考えてるリンク・・偉すぎ、可愛いすぎです・・・うう。

おまけ: この小説が出版されたのは1972年で 誰がモデルという訳ではないんでしょうが、過去の当たり役らしい、”射撃の名手で格闘技が強くてetcな超人的調査員”ってやっぱりジェームズ・ボンドとか意識してたんでしょうか。 ショーン・コネリー主演ラストの作品、「ダイヤモンドは永遠に」が1971年の公開だし(^^) そういえばボンドシリーズにはショーン・B(ゴールデン・アイ)もクリストファー・リー(黄金銃を持つ男)も出演してましたな。 どっちも敵役で・・

2003/03/21fffイタリックの文は上記訳本より引用


オオブタクサの呪い

著:シャーロット・マクラウド 訳 高田 恵子 創元推理文庫


話の中身:

バラクラヴァ農大の教授にして農芸化学の権威であるシャンディ教授が、異常発生したオオブタクサの撲滅 に手を貸すために農大の同僚と共にイギリスにやってきた。ところが、いきなり中世ウェールズにタイムスリップ してしまう。 そこで起こっていたのは、グリフィンの神隠しに王家のお家騒動、そして殺人事件! シャンディ教授は事件を解決できるのか? 無事に現代イギリスに帰れるのか? というファンタジー・パロディ風味コージー・ミステリーです。

もともとマクラウドには架空の町(といってもアメリカのマサチューセッツ州にあることになっている) バラクラヴァで、シャンディ教授が大活躍するコージー・ミステリーのシリーズがあります。 ひとくせもふたくせもある登場人物たちがバラクラヴァの町を縦横無尽にかけめぐり、クリスマスのイルミネーション で大騒ぎをしたり、蹄鉄をなげたり、ヴァイキングのお墓を見つけたり、とにぎやかにし、そうこうするウチに 石鹸工場が爆発したり、ロマンスがいくつも 進んだり、殺人事件が起こったりする、というとても楽しいシリーズです。 メインキャラクターが多少年齢的にとうが立ってる方々なのですが(失礼)あまりのパワフルさ、かわいらしさに、 (実は大学街で若者たちが大勢いるにも関わらず)、悩殺されまくってしまいます。 (104才と102才のとってもラブリーなロマンスなんてなかなかないです。)

このオオブタクサの呪いはシリーズ5作目で、 上にも書きましたがファンタジー・パロディ風味。いつもの町バラクラヴァではなくて、シャンディ教授が中世ウェールズにタイムスリップする といういささか掟破りというか作者本人がやってるからいいのか、という一作です。 でもちゃんと、失せモノ探しがあったり、殺人事件を解決しなければならなかったり、出てくる人たちがひとくせも ふたくせもあるのはいつも通り。いろいろと楽しめる作品です。

脳内キャスティング:

ピーター・シャンディ 応用土壌学教授にしてバラクラヴァのやっかいごと片づけ役。探偵役を決してのぞんでいる訳ではないのに いつも事件の後始末に廻らざるをえない苦労人 サー・イアン・マッケラン
ティモシー・エイムズ 応用土壌学教授。シャンディ教授の古くからの友人 サー・イアン・ホルム
ダニエル・ストット 畜産学部学部長 シャンディ教授の同僚  ジョン・リス・ディヴィス
 

トーチルド・イ・デュア 吟遊詩人に姿を変えられたスフィン王国の騎士 カール・アーバン
レディ・シーグリンデ トーチルドの婚約者。賢くてしっかりもの ミランダ・オットー
スフィン王 スフィンフォード王国の王、トーチルドの大おじ バーナード・ヒル
フィフィニア グリフィン スフィン王と共に育つ

エドミア皇太子 スフィン王の長男 殺人の被害者。作中で死亡 ジョン・ノブル
ディルウィン王子 エドミア皇太子の長男・故人 「優しい人でした」という話 ショーン・ビーン
ダゴバード王子 エドミア皇太子の次男 やや冷笑癖がある デヴィッド・ウェンハム
オールドラ王女 エドミア皇太子の妻 ロビン・マルコルム

エドウィ王子 スフィン王の次男 遍歴生活をこよなく愛する ヴィゴ・モーテンセン
オウェイン王子 エドウィン王子の息子 ひねくれもの オーランド・ブルーム
エイデルギサ王女 エドウィン王子の妻 ある意味非常にたくましくお強い リブ・タイラー

エドバード王子 スフィン王の三男 
ジェラート王子・ガヘリス王子 エドバード王子の長男、次男
グウィネズ王女 エドバード王子の妻

グウラークス 洞窟の魔女 ケイト・ブランシェット
ドゥイッド スフィン王の城の住み込み悪い魔女 ケイト・ブランシェット

メドラス 洞窟の魔女に捕らえられ下働きにさせられていた書記官  マートン・コーカス

イスガード卿 スフィンフォード王国の隣りの国の領主 ヒューゴー・ウィービング
イフォー イスガード卿の長男 ショーン・アスティン
イファン イスガード卿の次男 ビリー・ボイド
ヨリック イスガード卿の三男 ドミニク・モナハン 
ヒュウ イスガード卿の四男 パリス・ホウィ・ストレウィ
 ハウェル イスガード卿の五男 イライジャ・ウッド
ヘイワード イスガード卿の六男 カルム・ギティンス

ディグウェル イスガード卿の執事 クレイグ・パーカー


脳内キャスティングの理由:

トーチルドがエオメルみたいだったから・・・という非常に安易な発想から出ています。いや、この作品自体 指輪よりずっと明るく、かろやかな話なので、トーチルドもちょっとおバカさんぽくって、あまり良くものを考えて ないのでイコールエオメル、という訳では決してないのですが、王様のおいの息子で、ぬれぎぬ着せられて王国を 追われてる所に教授たちと会うというシーンに、ちょっぴりエオメルを彷彿させられました。
そしてそういう目でみると、ミステリー作家の作者があえて、子供の頃(多分)読んだ児童ファンタジー(ナルニアや アリスやオズ)や神話的世界に自分のキャラクターをスリップさせただけあって、王様や英雄の設定が 結構お約束的な部分があって(もちろんそれだけではなくて、いかにもマクラウド流のキャラクターの味付けが 多分になされているのですが)そのへんが指輪のキャラクターにかぶって見える部分もあり、ロード・オブ・ザ・リングの 役者さんたちでキャスティングしてみたい、という気持ちになりました。

(その他にもう一つの理由がありました。シャンディ教授たちは現代のバラクラヴァが舞台のシリーズで キャスティングしてもぴったりくるのですが、女性陣がキャスティングしきれない、という問題が出てきてしまうのです。 機知に富み優しいヘレン、麗しく威厳あるシーグリンデ、お菓子箱のような 安らぎのイデューナなどなど、魅力あるご婦人方をうまくキャスティングできない! もともとロード・オブ・ ザ・リングにはメインキャラクターで女性は少ないし、出てきている女優さんたちも、それぞれ魅力的なのですが いかんせんみなさん若すぎる!)

シャンディ教授がイアン・マッケランなのは、頭がよくて、茶目っ気もあって、必要なときに必要な事を きっちりやってくれるシャンディ教授に印象が合うなあ、と思ったためです。 エイムズ教授がイアン・ホルムは、シャンディ教授のともだちで見かけがノームみたいだから。そして 見かけで判断するとその叡知を見過ごし、とんでもない間違いを犯すだろう、というコメントからです。 ストット教授ジョン・リス・ディヴィスは、大らかで、泰然とした雰囲気を作ってもらえそうなので

スフィン王、トーチルド、シーグリンデがローハン組なのは、まさにそのまんまだったから。 グリフィンのフィフが連れ去られて、がっかりして年以上に老けていた感のスフィン王と、ローハンの王様が ちょっぴり重なったり。

エドミア王子の親子が執政親子なのは、 "それに父親を恨んでおり、兄の死でひどく動揺していた"ダゴバード王子は、最初に兄を急になくし、 ついで父を亡くしたという設定やら、考え込みがちだけど、責任はきっちり果たそうという所とか、 某執政家の誰かさんを思い起こしたのでこういうキャスティングにしてみました。 故人のディルウィン王子はボロミアさんとは似ても似つかないおっとりさんのようでしたが、 一応兄弟仲も普通に良かったという事なので(^^)

エドウィ王子は、”男にとっては遍歴生活だけが人生と言えるものだよ”と冒険の旅に焦がれている人。 万が一ダゴバードが何かなって、まかり間違って王冠が自分の所にきたらもう旅には出られない、と王位継承 の第2位にいる割にはやる気の「なさ」満々の王子。 奥さんに頭があがらならない所も含めてちょっぴりへたれで哀愁を感じさせる 所をぜひヴィゴに演じて欲しい。
エイデルギサ王女は強くて口うるさくたくましい王女。新しい冒険に出かけてべつの姫を救い出そうとした 夫を羊の大腿骨でなぐりつけるような激しい方でもあります。乗馬シーンの印象からリブ・タイラーに。 ちょっと強すぎる役で可哀想かな(^^;)

グウラークス、ドゥイッドはケイト・ブランシェットのダブルで。強い魔女といったらやはり。しかも悪いだけの 魔女ではない所もチャーミングに演じてくれそうなので。

イスガード卿親子はとにかくにぎやかな所と、男所帯で嘆いてる所を考えて、ホビット達とエルロンド卿 の役の俳優さんに。兄弟6人だったので、セオドレド役とハレス役の俳優さんをキャスティングしてみました。

この作品の視点はシャンディ教授という現代人なので、結構皮肉めいた感想も見られますが、まあ可愛らしいものです。 この作品がとても映像化されるとは思いませんが、かのキャラクターで脳内上映してみるとたいそうハマリましたので お試しあれ(^^)

2003/06/02fffイタリックの文は上記訳本より引用