王様らしい格好?



"Otherwise,when in kingly raiment he bore the Elendimir which had descended to him."

J.R.R.Tolkien, edited by Christopher Tolkien, Unfinished Tales
(London: Harper Collins, paperback editinon 1998) pp. 359 line 14-16

現在UTちまちま読み中です。The disaster of the gladden fields 中の一文中にあるこのくだりを読んで感じた事・・・

王様らしい格好をした時には、って普段は王様らしくない格好してたんですか? エレスサール王!

ゴンドールとアルノールの王位を受け継ぎ、エリアドールを全域を治める王様になったのに、野伏な格好を未だにしてたんでしょうか? 
好んで。

いやまさかそんな事は(笑)! いくらなんでも裂け谷にいた時に着ていたくらいの服は着てるだろう。きっとこのkingly raimentってのは国の祭日で民の前に出る時とか、論功賞罰の時とか外国の大事なお客さまがいらしたりの時に着る特別立派な装い、礼装という事よね。王様だって一日中高いカラーとか長く引きずるようなマントとか来ていたくないもんねぇ。

というか、王様らしい格好=人の手をかりないと着るのが大変な衣装、だろうからそのへん野伏生活が長い彼には鬱陶しいかもしれない。 ま、ちょっぴりビミョウですが、野伏な人たちが身繕いをどうしていたのか? というのは。 野伏の里(というと忍者の里みたいだ)での暮らしぶりとかって良くわからないし。荒れ地にいるときは 単独行動ぎみのようですが、集団でオーク狩りしたりしてる時は族長さんの着替えのお手伝いとか誰かする人がいたんだろうか・・ 一行のうち、一番年若の人がお世話がかりだったとか(ちょっと妄想気味)
いやほら中世の頃は騎士には従者がついて着替えのお手伝いなりなんなりをしていたわけで、従者には別の騎士の息子とか毛並みの悪く ない人がやっていたりする事もあるわけで・・

それはさておき、アラゴルンだってかつてローハンやゴンドールにいたときはそれなりに従者を使っていただろうから、 人に着替えさせて貰うということに特にこだわりはないでしょうが、それが好きかどうかはまた別問題じゃないかな?と思います。 従者が一人いて、「はい、シャツ」「では、上着」って着せてくれるくらいならいいけど、よってたかって着せ付けられるのはどうかと。

ゴンドールのお洋服はボロミアの衣装をみる限り、ボタンじゃなくて紐、ホック、帯等で衣服を留めている様子。SEEでみたボロミアの衣装の 袖ぐちなんか、紐で締めてフィットするようになっていて、あれは人に結んでもらう仕様の気がします。(あれは旅の間中どうしてたんでしょうね、 a:結ばない(・・・ちょっとそれはあまりにみっともないです、執政の世継ぎの君)b:ゆるめに結んでおいて、常に結びっぱなし (普通すぎでつまんないです、旅の戦士殿)c:ホビットたちが結んでくれてました(・・か可愛いすぎるよボロミアさん))
ゴンドールの執政の息子殿の旅衣装がそれなら、ゴンドールの王様の礼装はおして知れよう、というもの。いかにも王様な衣装というのは豪華で窮屈そうなので、アラゴルンが好んで着そうには思えない。そこで、「旅に汚れていない」、「使われている生地がより立派にはなった」ものの結局は野伏風の衣装、というのを普段着にしてたかもしれないなあ・・・と想像してみる。

・・・ぱっと見がちっとも王様っぽくなくて、レゴラスが造ってくれた庭でのんびりしてて、髪の毛に葉っぱやら何やらを くっつけたままふらふらしている彼・・

か、かわいいじゃん。 すごく立派な王様の衣装をつけて、ぴっかぴかのエレンディルの星を額につけてあまりの壮麗さにみんなから 沈黙されちゃうような王様(このヘンもUTから)より、ちょっぴり不精な王様萌えな自分・・・王様スキーとしてそれはどうかとちょっと 自らにつっこみいれてしまいました。終わってますね。
03/02/16改訂:原文出典明記 03/06/02

名剣グラムドリング

"それからガンダルフ、あなたの剣は、グラムドリングつまり敵くだきという名で、ゴンドリンの王が昔 さしていたものです。よくよくたいせつになさるように。 "
ホビットの冒険 岩波少年文庫より


昔ホビットの冒険を読んだ時はとりたてて何も感じませんでした。ふーん昔の王様の剣か〜 くらい。 そして指輪物語を読んだ時、ああ、あの時の剣を持って行くんだ〜 ガンダルフ〜という印象のみ持っていました。 最近になってまたホビットを読み返した時に、上の文章にひっかかった訳です。 え、ゴンドリンの王の剣??? ゴンドリンってあのゴンドリンだよね。シルマリルだよね。

実は私はシルマリル初読時挫折組、通読したのは指輪に大ハマリ後、つまり今年になってからでした。(読んでみればひたすらハマルシルマリルであった訳ですが、多分指輪に大ハマリした後で、エルフの親戚、姻戚関係をおおかた呑み込んだ後のため、読みやすく なっていたようです) 「シルマリルの物語」によれば、ゴンドリンは、フィンゴルフィンの息子トゥアゴンが築いた都です。フィンゴルフィンというのはフェアノール(フェアノールはシルマリルを作ったエルフ)の異母弟。モルゴスと一騎打ちして7つの傷を負わせたノルドールの上級王。だからトゥアゴンは ガラドリエルのいとこで、ギル=ガラドの叔父さんという事になります。ゴンドリンは、裏切りによって墜ちるまでは、長くモルゴスに対しての抵抗力となっていたエルフの都でした。

そのゴンドリンの王さまの剣、ということはいにしえのエルフの上級王、トゥアゴンの剣、ということです。誉れ高いエルフの王の剣、 というだけでも貴い訳ですが、トゥアゴンというのは、イドリルのお父さん、ということはエアレンディルのお祖父さん。 ということはエルロンドの曾祖父さん、すなわち、この王はエルロンドと直接に血のつながりのあるものです。

そっかー グラムドリングはエルロンドのひいおじいちゃんの剣だったんだね。しみじみ。

ゴンドリンはエアレンディルが7才の時に、モルゴスの手のものにより陥落しました。バルログ、オーク、狼、龍たちが 都を襲いました。泉のエクセリオンはバルログの王ゴズモグと闘い相打ちとなり、王、トゥアゴンは廃墟と化した居城で 壮烈に討ち死にしました。当然グラムドリングはこのとき王の手にあった筈です。王がみまかられた後、この剣を奪ったのは、龍だったのか、 オークだったのか・・・ゴンドリンの美しい都は破壊され、噴水は枯れました。ゴンドリンの残党はエアレンディルの両親である、トゥオルとイドリルに導かれようよう逃れましたが、それも鷲の王ソロンドールの救援と、グロールフィンデルのバルログとの相打ちという犠牲 の上に成り立ったものです。

ゴンドリンの陥落をエルロンドは父エアレンディルから聞いたのでしょうか? あるいは誰か彼の近しいものから? エルロンドがトゥアゴンの剣を見た時に、彼の胸に去就したものが何であるかは分かりません。父エアレンディルの 思い出や、歌に唄われて伝えられてきたゴンドリンの都、そしてその陥落を思い起こしたのでしょうか。 長く失われてきたトゥアゴンの剣を前にしたエルロンドの想いは、何にせよ通り一遍の想いではなかった事でしょう。

トゥアゴンの剣は、言ってみれば血統的にはエルロンドが受け継いでおかしくないエルフの名剣な訳ですが、彼は自分では取らず、ただガンダルフに 剣の来歴を語るのみです。これはガンダルフがグラムドリングを持つことを認めたという事で、ガンダルフに再び与えたと言っていいかもしれません。

長くモルゴスに対抗したトゥアゴンの剣を、”サウロンの力に抗し、かれに抵抗する 意志を持つ者たちすべてを結び合わせるために遣わされた”イスタリ=ガンダルフに与えた。ホビットの冒険を読んだ時にはただ剣の由来をしるして あるばかりと思ったのに、指輪物語を読み、シルマリルの物語を読んだ後に、もう一度読むとこの場面の意味するところが何倍にもなって帰ってきて ただ圧倒される想いがします。

そしてガンダルフがこのグラムドリングを振るうことは、サウロン側にとって脅威だったろうな、と思います。この剣の持ち主トゥアゴン、その父フィンゴルフィンは サウロンのあるじであったモルゴスを傷つけたエルフであり、また彼の家系から出たエアレンディルによってモルゴスは破滅させられました。 トゥアゴンの剣は闇の勢力をうち負かす力の象徴たるものです。 そしてこの、モルゴスを損なう事ができた家系の、そのまたずっと末裔であるエレンディルと、ギル=ガラドとの同盟の元にサウロンはうち倒され、エレンディルの息子イシルドゥアがサウロンの力の指輪を奪いました。あるじに続いてサウロンもこの家系にやられている訳です。サウロンがエレンディルの末裔を探し、恐れていた理由も分かります。モルゴスが倒される前から、フィンゴルフィンの家系は彼らにとって言ってみれば「鬼門」のようなものです。弱い、恐れるに足らぬもの、と思いながら、ウルモの恩恵を受け、彼らの望みの成就をずっと妨げてきたのですから。 アラゴルンはその身そのものが、ガンダルフは西方から使わされた身とその剣が、サウロンに対しての脅威となりえた訳です。 そしてその事が、指輪を滅ぼすという、大いなる旅をサウロンの目から隠す為に最終的に役だったというのがまたおもしろい所です。 サウロンは自らの恐れに足下をすくわれたのですから。彼がもしエレンディルの末裔やイスタリに恐れから来る注意をそれほど払わずにいれば、 滅びの山に近付く指輪に気付いたかもしれないのです。

こういった事を考えると、エルロンドの口にした”よくよくたいせつになさるように”というのがとてもしみじみとした、また力のこもった 言葉に聞こえてきます。エルロンドの言葉は、過去を語っていると共に、未来をも語っているように読めてきます。 グラムドリングはエルロンドの曾祖父の貴い剣であり、またサウロンに属する闇の勢力への脅威となる剣である。エルロンドが全てを予見できたとは 思いませんが、このグラムドリングが指輪戦争において大いなる活躍をする事をおぼろげにも感じ取っていたのかもしれません。

などとフカヨミすればするほど楽しくなってきますね。さて、オルクリストはゴンドリンで誰の持ちものだったのかな〜HoMEとかに書いてあるのかな・・
イタリック体の文章は邦訳本より引用mmmmm03/03/02

忍耐強い馳夫さん

"「逃げた?」とアラゴルンは叫びました。"
指輪物語 旅の仲間下1 評論社文庫より


エルロンドの会議で、ゴクリを逃がしてしまったというレゴラスの報告に思わず叫ぶアラゴルン。 そりゃ叫ぶでしょうよ。あんなに苦労してつかまえたのに。

3009年から8年間折りにふれ繰り返しガンダルフと(あるいは一人で)ゴクリを捜索。 アンドゥインの谷間、闇の森、影の山脈からモルドールの防壁にいたるまでのロヴァニオンを探して、 探して、彼にとっては(というかサウロンと敵対するものであれば誰にとってもだけれど) かなりヤバメの土地、死者の沼地の端っこのあたりでやっと見つける事ができたというのに。

ゴクリ探索最後の旅は追補編によれば3017年。(追補編では捕まえたのも3017年という事になっていますが、 UTによればアラゴルンがゴクリを捕まえたのは3018年の2月1日です。私はこっちのほうが理にかなってると思います。 UTによれば、アラゴルンが3018年2月1日にゴクリを捕まえ、3月21日にスランドゥイルの元にたどりついた。ガンダルフはその2日遅れで到着、3月29日早朝に闇の森を出立。霧降り山脈のThe High Passを越えて裂け谷経由でガンダルフは4月12日にホビット庄へ、となっています。 もし3017年中にアラゴルンがゴクリを捕まえていたとしたら、ガンダルフがフロドの元にいくまでの時間がかかりすぎですね。フロドの指輪が力の指輪にほぼ間違いない、とわかったのに、数ヶ月間をおいてからホビット庄に行くのはおかしいと思います。時間的には3018年2月のほうがしっくりいくような気がします。このタイムスケジュールだと踊る小馬亭でアラゴルンが”わたしはこの春彼と一緒に西にやってきた” という台詞とも整合しますし、また、6月のサウロンの闇の森とオスギリアスの攻撃のタイミングとも合うと思います)

アラゴルンはこの旅でいったいどのあたりまで探索していたのでしょう。途中まではガンダルフと一緒だったわけですが。(個人的にはモルドール近辺をイシルドゥアの末裔がうろつくのは激ヤバだと思うよ(笑)本人は”イシルドゥアの後継者にとって、イシルドゥアのあやまちを償うために力をつくすことがふさわしい”とは言ってるし、「ゴクリを見つけるのには二つの目より四つの目」とかなんとかそういうこともあるでしょうけれど) ”「黒門の見えるところまで歩いて行かねばならぬとしたら、あるいはモルグルの谷間の死の花々を踏まねばならぬとしたら、その時こそ、危険な目にあうというもの」”とアラゴルンはエルロンドの会議の時言っているので、これは逆説的に、もう一歩進んだらそうなるくらいのトコまで 行ったよ? って事ですよね。という事は彼らは黒門がぎりぎり見えるか見えないかくらいの所から、影の山脈に近づき、北イシリエンを下り、十字路からモルグル谷ぎりぎりのあたりまで探したという事なのでしょう。このヘンはオークその他もヤバイけど、ゴンドールの野伏に出会っても やばそうですな。うーんデンジャラス。 それでナズグルとかに見つかったらどうすんのよう !!!!!
まあガンダルフとアラゴルンの二人ですからそうそうマズイ事にはならなかったでしょうが。 影の山脈を探してゴクリの噂は聞きつけたけれど、彼を捕らえる事ができなかったので、彼らはゴクリを見つける望みを捨て、 今度は別の方向から、すなわち指輪が語るものは何かという事で、指輪の銘を調べにゴンドールへ向かった、とガンダルフが同じくエルロンドの会議で話しているので、(ところでいったい「誰」からゴクリの噂を聞いたのだろうか? という新たな謎が・・) 時系列的には、おそらくアラゴルンはそこで(というのはモランノン〜北イシリエンのあたりで) ガンダルフと別れ、北上して帰国する途中でゴクリを見つけたのだと思われます。死者の沼地といっても広いですが、 モランノンからドルグルドゥアには道路が通っていたらしいので(「フロドの旅」によれば)死者の沼地の東側はそれを考えるとより危険そうです。そう考えると、アラゴルンは帰り道としておそらく、アンドゥイン側、西側を選んだと思われます。そこでたまたまゴラムを見つける事ができたのでしょう。

闇の森までの道は遠い・・・再びUTによれば、アラゴルンはゴクリを連れ、敵方のスパイを避け、エミンムイルの北端まで上ったあと、サルンゲビアのすぐ上流を 泳いで渡り(ゴクリは流木にくくりつけてひっぱったらしい)そこからできるだけ西に向かって ファンゴルンのすそ野を過ぎ、ロリアン(ここでガンダルフに伝言を頼んだ)の軒先のニムロデルと銀筋川を越えて、モリアとおぼろ谷を避けて、あやめ野を岩山の近くに至るまで越え、ビヨルン族の助けを借りて(ということはアラゴルンはビヨルン族とも知己なんだね。なんか 嬉しいぞ)再びアンドゥインを渡り、森を越えてやっと闇の森の王さまの所へ到着しました。 死者の沼地で捕まえてから闇の森のスランドゥイル王の所までおよそ900マイルに足りないくらい、 オール徒歩の旅。道連れがゴクリでアラゴルンにはうんざりする50日間の長旅。

まったくおつかれさまです。

ぬるぬるする緑色のものに覆われていて、臭くて、しじゅう不平だらけで、 こちらにかみついてくるようなのをつれての旅。夜もほとんど眠れなかったご様子。 (ゴクリが逃げ出さないように)最初はさるぐつわをかましていたようですが、 その後ははずしてあげていたようなので、きっとずーーーーっと

「しどいしとだよ。しどいよ。しどいよ。わしら痛いのよ。エルフの紐はキライよ。わしを痛くするよ。 魚くれよ。さかなだよ。しどい、しどいよ・・」

以下エンドレスだったと思われます。

あまりにやっかいな道連れだったわけで「恨みますぞガンダルフ!」とか嘆息してそうだ。

食料とかどうしてたのかな〜一部は糧食として持っていたとしても足りないだろうから、 狩り? でもゴクリが一緒じゃ狩れるものも狩れなさそうだし、それに下手したら逃げられるし、大体、危険地帯を連れたままぐずぐず している訳にはいかないだろうし、やっぱりとりあえず糧食でしのいだんだろうか。 でもゴクリを捕まえたのはアラゴルンも、「やっぱり見つからない」 ってあきらめて帰ろうとしたその帰国途中だったのだから、結構ぎりぎりまで糧食は減っていたのでは なかろうか。

とにかくこんなに苦労して捕まえてつれてきたのに逃げた・・私ならキレそうだ・・ でも馳夫さんはキレない。エライな・・・

イタリック体の文章は邦訳本より引用mmmmm03/03/09

シルマリエンという王女さま

"しかし同時にかれらは初めからエルダールに特別の友情と、ヴァラールへの尊崇の念を抱いており・・・"
シルマリルの物語 アカルラベース 評論社 より


昔ヌメノールの国にシルマリエンという王女サマがおりました。王女はヌメノールの4代目の王様(初代王=エルロスの曾孫ですね) の長子です。ですからもっと時代が下ってから生まれていれば女王サマになっていた筈のヒトです。(王女の時代は王位は男子相続だったので、 王位は弟の家系に渡り、彼女の家系はヌメノールの都においては王統の家系とはなりませんでした。) しかし彼女の家系の裔であるエレンディル(とその息子たちであるイシルドゥアとアナリアオン)はヌメノールの水没を 免れ、中つ国で再び人間の王国を興します。彼女の裔のそのまた裔であるアラゴルンは彼女を通じて人間の王家の血と、エルダール(とマイア)の血を受け継ぎ、バラヒアの指輪、エレンディルの星を受け継ぎました。彼女から伝わったものは皆、人間とエルダールとの交わりの証です。

この王女さまの事を考えてみます。 王女サマのお父さんはタル・エレンディル。「エルフの友」という名前を持っていて、娘にシルマリエンという名前を与えました。 シルマリルのシルマリエンなんでしょうね、きっと。(日本語だったら「宝美」とかいうネーミングか? いやいくらなんでもちょっと不適切な例ですね(^^;))こんな生まれの彼女はきっとエルダールととても親しかった事でしょう。ヴァラールを尊敬していたことでしょう。もちろんこの時代のヌメノールの人々は皆エルダールと親しんでいましたし、中でも王族はもともとその身内にエルダールの血が入っている事もあって、よりエルダールに親しんでいた筈です。
それでもその中で、特に親しんでいたのではないかと思うのです。親しんでいたからこそ、夫に西の地の-ということはエルダールと親しく交わる機会の多い(なぜならば、西の地の都、アンドゥニエはヌメノールの国より西方にある、海を越えたエルフの土地、エレスセアからの舟が一番最初に辿り着く都であるから)-エラタンという人を選んだのでしょう。

シルマリエンの息子で、アンドゥニエの初代領主であるヴァランディルは、「特に親しくエルダールと交わった」、と指輪物語の追補編でも触れられていますし、彼の両親がともにエルダールととりわけ親しんでいたと考えることができるのは間違いないと思います。このような王女が家系のはじまりで、なお、家系のはじまりからずっと人間とエルダールの交わりのあかしを受け継いできたとしたら、普段からの西の地の利によるものだけでなく、時代が下ったのちの節士派たちが、アンドゥニエ近くに住まう事も理解できようと云うものです。

もし彼女の家系が王の家系となっていたら、ヌメノールの歴史は変わっていたのでしょうか? それともやはりサウロンに毒されて破滅の道を たどったのでしょうか。もちろん彼女の家系のものたちであっても、「エルダールと違って不死でない」という状態に苦しんでいたのですから、そこを同じ様にサウロンに付かれたかもしれません。でももしかしたら、ヌメノールの島が沈まない歴史がありえたかもしれません。

歴史にifはありませんが、ヌメノールの王たちが、エルダールとの友誼を損なわず、ヌメノールの島も沈まなかったら、中つ国の地図は大分 違ったものになったかもしれません。

イタリック体の文章は邦訳本より引用mmmmm03/03/27




バラヒアの指輪

"これはその古さだけでも、そなたには値踏みもできぬ値打ちのある品物である。これにはいかなる力もない。あるのはただわが王家を愛している者たちがこれに対して抱いている敬意だけである"
指輪物語 追補編 より


バラヒアの指輪は、中つ国<第一紀の時代、エルダールの王である、フィンロド・フェラグランド(フィナルフィンの長子。フィナルフィンはフェアノールの異母弟。フェアノールはシルマリルを作ったエルフ、であります)から、人間の王、バラヒアへ友情と信義の証として、与えられたものです。この指輪は、シルマリルの物語によれば、エメラルドの目を持つ双生の蛇を象り、二つの頭部が金の花冠の下で出会い、一つがそれを持上げ、もう一つが貪り喰うていた。これはフィナルフィンとその王家の紋章であった。 その指輪にはノルドール族がヴァリノオルで作り上げた緑の宝石が輝いていた、 という事です。第一期の話は年代がわりとアバウトなので、指輪が作られて、エルフから人間に与えられるまでに、実際どれくらいの時間が過ぎたのかは良くわかりません。ただ上記より、エルフたちがヴァラの召出に応じた後、フェアノールの中つ国への出発より前、に作られたものであることは確かです。アラゴルンが受け継いだ時から遡ると7500年くらい前の古いふるーーい(力の指輪よりずっと古い)指輪だという事になります。

バラヒアの指輪は、エルダールの王が、人間の王へ、友情と信義の証として、与えました。(フィンロドがのちにこの誓いのために、シルマリル探索行においてベレンを自らの命をもってして救うという事が、「シルマリルの物語」に詳しく述べられています。)ですから、これはエルダールと人間の関わり合いの深さや重さの形代とでもいうべき指輪で、人間の王家にとってはたぐいまれなる貴重なものです。それ故に、指輪はエルフの生を選んだエルロンドではなく、人間の生を選んだエルロスに伝えられたのでしょう。エルフと人間の友誼と信頼の印として尊ばれ、王家の宝とされた訳です。
この指輪がヌメノールの水没を免れ得たのは、ヌメノールの4代目の王、タル・エレンディルが娘であるシルマリエンにこれを与えたためです。シルマリエンから出たアンドゥニエの領主の家系は、エルダールへの友誼、ヴァラールへの尊敬と信頼を最後まで失わず、ヌメノールの水没をのがれて、中つ国へいたることができました。

何故タル・エレンディルはシルマリエンにこの指輪を与えたのでしょう?

この指輪の由来やそれが表している事を考えるほどに、大事な、本来であれば代々の王に伝えられるべき宝物を、自分の娘に、とはいえ、よく与えたものだ、と思います。そう考えるといろいろ妄想が沸き上がってきます。もちろん最愛の(かどうかは知りませんが、多分)娘に、例えば結婚して家を離れるにあたり、贈り物を与えたかった、という事だったのかもしれません。でもそのために家宝の一つを与えるものでしょうか? 大体この指輪の価値はその細工や宝石そのものにあるのではなく、指輪に込められた「エルダールと人間の友情の証」という所にあります。
 
タル・エレンディルは、別名パルマイテ。祖父であるヴァルダミアが集めたエルフや人間の伝承を本に纏めた事による名を持っています。こういった伝承に詳しく、親しんだ彼が、気まぐれやただの嗜好でこの指輪を娘に与えた、という事は考えにくいです。ある意図 - エルダールへの友誼と信頼を損なわずに持ち続けよ。また王の家系から出た事を忘れず、王の家系を支えよ - を持って、王家を離れる(もしくは離れた)娘に指輪を与えたのではないでしょうか。

王女は聡明でエルダールと特に親しく(おそらく)、彼らからの贈り物、その知識や知恵、忠言や愛は彼女の家系に連なるものを豊かにする事でしょう。それが始まりから見えていたとすれば、指輪を与える事で、父王は彼女の家系を特別なものにし、彼女の家系を強く王の家系に結びつけ、王の支えとなさしめたかったのでしょう。

もしそうだとすればタル・エレンディルのその思惑はほぼ成功したものと言えます。 シルマリエン王女から出たアンドゥニエの領主の家系は、ヌメノールにおいては王家についで高い栄誉を得ており、代々の領主は王の忠臣であり、王を敬い、常に王の最高顧問官の一人であった。しかし同時にかれらははじめからエルダールに特別の友情とヴァラアルへの尊崇の念を 抱いていた、とこれはシルマリルの物語の中、アカルラベースで述べられていいるのですから。

それとも、ひょっとしたら。父王の先見の明が指輪を王女に与える事を示したのかもしれません。いつかこのヌメノールも終わりを迎える日がくると。その時、この王女の家系からヌメノールの没落を逃れ得る希望が生まれ、その遠い子孫が大いなる悪を討ち滅ぼす力となると。そして、その時、分かたれた半エルフの家系は再び出会うことになると。そう予見したのかもしれません。

結局ヌメノールの王家の宝はこのバラヒアの指輪しか子孫に伝わりませんでした。シンゴル王の剣も、トゥオルの斧ブレゴールの弓も、王冠も王笏 もすべて失われてしまいました。

バラヒアの指輪もまた、安穏と子孫に受け継がれて来た訳ではなく幾度となく失われかけています。

一番最初の持ち主であったバラヒアがサウロン配下のオークたちに殺された時に、指輪はその殺害の証拠として腕ごと サウロンの元に持ち帰られる所でした。これは息子のベレンが奪回したので難をのがれました。

イシルドゥアからの引継の詳細がはっきりしていません。イシルドゥアがあやめ野からの逃走の時点でもし指にはめていたら、エレンディルミアや、力の指輪と同様失われていた筈です。

(バラヒアの指輪がどうやってイシルドゥアの難を逃れたのか、微妙に疑問です。サウロンとの闘いに赴く時点では王はエレンディルですから、彼がバラヒアの指輪を持っていました。エルフと人間が同盟を結んだ戦に臨んで、2種族間の信頼と友誼のあかしであるこの指輪を持ってこなかったとは考えにくいですから、指輪はエレンディルの没後に、イシルドゥアがナルシルの剣と共に受け継いだ筈です。 それではバラヒアの指輪はあやめ野の惨劇からどうやって逃れ得たのでしょう?

1)オフタールにナルシルの折れたる剣と一緒に託した。
2)イシルドゥアは身につけておらず、しまってあった。それを救援部隊が見つけだした。

のどちらかということでしょう。でももしバラヒアの指輪をナルシルと共に託したなたらそういう記述が残っていても良さそうなので、 2)を個人的には推したいです。何故バラヒアの指輪をはめていなかったかというと、力の指輪を葬れという、エルロンドやキアダンの説得に耳を貸さなかったのでエルフと人間のあいだの信頼の印の指輪をはめていたくなかった、とか、力の指輪とヴァリノール産の指輪と相性が悪かったとか、 いや、これは捏造しすぎですね。実際はどうだったのでしょう、ちょっと考えると脳味噌が爆走しそうです。まあ、実は、王笏と一緒に都に置いてきた、のかもしれませんけれど)

また北方王朝の最後の王アルヴェドイが、援助の礼の形代にロスソス族に預けなければ、氷の海の下に永久に失われた事でしょう。

こうしてみると結構きわどく引き継がれていますが、まあ何せ古いものですから、むしろ喪失の危難といっても少ないと言えるかもしれません。

バラヒアの指輪は、幾多の危難をくぐり抜けてアラゴルンの所まで受け継がれました。そして婚約の印に彼からアルウェンに贈られるわけです。しかし、ガラドリエルも、まさか、自分の兄が人間に友情と信義の証として与えた指輪が7000年以上も過ぎてから、自分の孫娘愛の印として与えられるとは思ってもみなかった事でしょう。

エルフと人間の全てを見てきた指輪といっても決して過言ではない、古くて、そして価値のある指輪ですね。

イタリック体の文章は邦訳本より引用mmmmm03/04/01




エレンディルの星:Elendilmir

"そして彼の額にはエレンディルの星が輝いていました"
指輪物語 王の帰還上 評論社 より


エレンディルミアは、別名をエレンディルの星と言い、透き通った白いエルフの宝石ただ一つミスリル銀の細い額帯につなぎ留められているもので北の王国、アルノールにおいては王冠の代わりに王がその額に着けていました。

指輪物語ではアラゴルンペレンノールの合戦場にペラルギアの艦隊を率いてやってきたときに、王のしるしとして身につけていました。 この宝玉は代々裂け谷で保管されており、アラゴルンが王のしるしとして、身につけられるよう、エルロンドからことづけられて戦場まで もたらされたものでした。
遠く水没したヌメノールの地では王や貴人はその高貴さの象徴に宝玉を額につけており、アルノールはゴンドール よりヌメノール風の風習を残していたようです。

エレンディルの星はエレンディルの家系に代々伝わった宝玉です。ヌメノールの王女、シルマリエンから伝わったものといわれ、上記のように描写される様子からはかなり繊細な造りのようで、シルマリエン王女のために創られたもの、という事は想像に難くありません。ということはシルマリエンがエルダールから贈られたか、自らが造ったかした額飾りという事になるでしょう。

人間が創ったもので一番古いもの、としてアンヌミナスの王笏があげられています。これはアンドゥニエの領主の 笏であるので、エレンディルミアはヌメノールの人の手によって創られたものではなく、エルダールの手になるものと思われます。大体ヌメノールでは金や宝石が算出しないそうですから、少なくとも材料はエルダール由来ですね。
アマンのエルダールの細工ものなのか、中つ国の細工ものかどうかははっきりしていませんが、私の勝手なイメージとして、アマンのノルドールが造ったものじゃないかと思っています。少なくとも宝石は中つ国産ではないと思われます。(というのも、UTに、ヌメノールのもうちょっと時代を下ってから、中つ国からもたらされた類い希なる宝石の記述があるのですが、 これはエレンディルミアとは別物であろう、とかかれているのです。もしエレンディルミアが中つ国産ならそのことに言及されてしかるべきでしょうから。)

「エレンディルミア」は「エルフの友の宝石」、という意味にとっていいでしょうから、この名前を持った宝玉を贈られたシルマリエンは よほどエルダールと懇意だったのだな、と思います。

このシルマリエンから伝わった宝玉自体は、一度失われています。あやめ野でイシルドゥアが討たれた時に、彼はこれを身につけていたので、 力の指輪と同様行方しれずになっていました。そしてもう出てこないものだと考えられていたのです。
裂け谷で保管され、アラゴルンが身につけていたものは裂け谷制作のいわばレプリカという事です。
もちろんレプリカとはいっても、エルダールの鍛冶の手によって、吟味された宝玉で造られたもので、その後3000年も受け継がれてきたものですから素晴らしいものです。
しかし、指輪戦争後にオルサンクの塔で見つかったオリジナルのエレンディルミアは、より古く、より立派で魅力的なモノとされており、 アラゴルンが身につけた時、まわりの人たちはその壮麗さを見て、感動して声もでなかったという事です。それぐらい裂け谷で創られたものとの 差があったという事でしょう。

そんなステキなオリジナルエレンディルミアですが、UTによれば、アラゴルンは北の王国の祭日などの時だけに身につけ、それ以外の王としての礼装をする時は裂け谷で代々受け継がれてきた方を身につける事としていたようです。
その理由として、「こちらの宝玉も、「歴代の族長の額を飾ってきたもので、敬意を持って扱われるもの」だから」という事のようです。おそらく宝玉としての格はオリジナルの方が断然上なのでしょうから、何も考えなければ、より立派な方を常につけていたってかまわないわけです。でもアラゴルンはそれをしないで、歴代受け継がれてきた方をも敬意をもって扱った。彼がその理由としてあげたものはその通りなんでしょう。この自分の系譜を尊重する所は、いかにも北方王朝出身の王ですね。追補編で”何代にもわたって連綿と父から子へ家系が継承されてきたことは北方王朝の誇りでもあり驚異でもあった”と述べられていますから。

けれども、その事の他に、エルロンドの関わりというのも無視できないと思います。エルロンドは、アラゴルン個人にとっては義父であり、導き手です。しかしその一つだけではなく、エルロンドは中つ国にエレンディルたちが戻ってきてからずっと、彼らの家系に保護と援助を与えてきたようです(そうでなければイシルドゥアの家族が戦争中裂け谷で暮らしている筈がないでしょう)。彼の、言いつくせない程の大きな援助がなければ、この北方王朝は継承されなかったであろうことは間違いありません。その、全てにわたって保護を与えてくれた、エルロンドが彼の家系のために用意してくれた宝玉である、という事にも敬意を払っているのではないかと、勝手ながら思うのです。 とりわけ、エルロンドが西方に去ってしまってからはより大事さが増しているのじゃないかなと思います。

  映画ではどんなデザインになるのか楽しみですが、戴冠式の王冠の方が重要と考えられてスルーかもしれません。 (あっさりスルーされるのかも・・というかスポイラーのカレンダー画像ではスルーされていた模様です) 王は、ゴンドールの翼ある王冠よりこのエレンディルミアの方を礼装に好んで用いていたわけですから(王冠はごついから、普段にかぶる ものではなさそうですし)個人的には戴冠式後の王様にはずっとつけていて欲しいのですが・・ムリかな。 TTTの墓所のシーンでは冠をかぶっていらっしゃいましたが、原作の本文にあるエレンディルミアの描写とは大分見た目が違いますし。 美しくデザインされた額飾りをとても見たいのですが難しいかな。

イタリック体の文章は邦訳本より引用mmmmm03/04/28


ドゥネダインの星

"1436年 王、サムワイズ殿にドゥネダインの星を与えられる"
指輪物語 追補編 評論社 より


指輪物語追補編の中、代々の物語の年表の中に一行、記されているだけの、この「ドゥネダインの星」とは 一体何でしょう? エレスサール王はどうしてこれをこの年にサムに与えたのでしょう? 

「ドゥネダインの星」です。星というからには宝玉かなにかで、宝物っぽい感じです。 ドゥネダインとは「西方の人」という意味合いでヌメノーリアンの異名です。 この2点から思いつくものとしては北方王国の星、すなわちエレンディルミア、エレンディルの星の事ではないか、という事です。 これはThe Complete guide to Middle-EarthでコメントされているとUTで書かれていますが、その根拠となるトールキンの 文章などについては触れられていません。同じくUTで、クリストファー・トールキンは、アラゴルンがどんなにサムの事を高く買っていたにしてもエレンディルミアを与える事はないだろう、とこのコメントに対しては反対の意見を表しています。

エレンディルミアをサムにあげることはないと私も思います。 いくらゴンドールの王冠があるからといっても、そう簡単にアルノールの王冠の代わりの宝玉を与えられるものではないでしょう。 上のエレンディルミアの項でも述べましたが、あれは古き御代から伝えられた宝玉で、そして何よりアラゴルン個人に属するものではなく、 王家に属するものです。つまり次代へと引き継ぐべきもの。この先人間の王国はずっと続いていくのですから、その王国の王冠(王冠の代わりに 身につけるもの)をいくら、貢献があったからといって、そう簡単には贈り物にはできないのではないかと思います。 しかもその宝玉はアラゴルンが自分の家系のはじまりの王女から伝えられた宝玉であり、あるいは幼年時代の保護者であり、成長後も限りない援助の手をさしのべてくれた義父が作らせたものであるわけですから。エレンディルミアをサムに与える、という事は、かなり考えがたいことではないかと思うのです。
 
それでは、クリストファー・トールキン教授の言う、エレンディルミアとは別の、そしてよりサムに与えられるにふさわしいものとは なんでしょう。

「ドゥネダインの星」と呼ばれるものなのですから、アラゴルンの家系に関係していて、光り輝くものである、ということは 間違いないでしょう。その辺に注意して指輪物語を読んでみます。するといくつかの「星の描写」に気付きます。

”かれは敏速で眼力が鋭く、マントに銀の星を一つつけていた”
これは「星の鷲」ソロンギルの名前の由来となった一文です。 彼が誰であったかは言うまでもありませんが(^^)名前の由来になるくらい目立つ「星」をつけていたのですね。

”アルウェン姫のかたわにはアラゴルンが立っていました。黒っぽいマントを背負って、エルフの鎖かたびらで身を固め、胸には星を一つ輝かせていました”
これはエルロンドの館で、フロドがビルボと再会した夜の集いの時の描写です。

このアラゴルンが身につけている「星」はエレンディルミアではありません。エレンディルミアは”透き通った白いエルフの宝石ただ一つミスリル銀の細い額帯につなぎ留められているもの”ですから(それにそんな貴重な宝玉を普段使いにはしないと思うので)。ここから、アラゴルンは「星」という描写をされるような、(ということは形が星型か、星のように輝かしいか、もしくはその両方である)ものを持っていたことがわかります。胸につけたりマントにつけたりできるもの、という事でブローチ状のものでしょうか。

そして北のドゥネダインたちが、アラゴルンたちに合流して、角笛城に至った時の描写に次のようなものがあります。

”徽章や紋章の類は何も身に帯びず、どのマントにも左肩に放射状の光を放つ星形をかたちどった銀のブローチが留めてありました”

ドゥネダインたちが、身につけた、星形の銀細工。アラゴルンがマントや胸につけた「星」

私はこれが、これらが「ドゥネダインの星」ではないかと思っています。

これは私の大いなる捏造、仮説で、トールキンに明言した文章(この野伏たちが身につけたブローチが、 あるいはアラゴルンがマントにつけていた星がドゥネダインの星と同じものであると明らかにしたもの)がある訳 ではありません。ですから騙りもいい加減にしろ的な所なのですが、考えてみたのです。

ソロンギル=アラゴルンが身につけ、北のドゥネダインたちが身につけていた、この星はそれでは何であろうか? 

北の王国、北のドゥネダインは分裂し、弱体化しました。第3紀1974年にアルセダインの都、フォルノストはアングマール によって陥落し、王国は滅びました。以降、北の王国の王の血筋のものは、族長”Chieftains"と自らを成します。統べるべき王国がなくなって、 王"king"とは呼べなくなったということでしょうか。 北方王国が滅んで以降、ドゥネダインたちはより結束を必要とした筈です。荒れ野をさまよい、”悪しきものからそなえのないものを守る”事を代々続けるために、またいつか王国を復興する願いのために。例え王国の形はなくしても、その民を守り、王の血統を継ぐという使命を果たすために。

その、ドゥネダインの結束の形として、何かしるしを必要としたのではないか。それは王冠や王笏でもいい筈なのですが、王国が滅びた以上、別の結束のしるしを必要としたという事ではないか。それが、彼らが身につけていた、星形のブローチであり、それが「ドゥネダインの星」と呼ばれたものではないかと、私は考えたのです。

さらに妄想をふくらましていくと、成人して野伏の仕事をするようになったらもらえるとか(大捏造)族長さん(もしくは代行者)からつけてもらうのが成人の儀式だとか(妄想爆裂!)ドゥネダインの身分証明になるとか(BDバッジかい?)。 族長のは特別仕様でヌメノーリアンが造ったミスリル銀製で、みんなのは普通の銀製だとか。少なくとも族長とみんなのとはちょっぴりデザインが違うとか大きさが違うとか。アラゴルンが初めて仲間たちと出会った時に族長の印しに渡してもらったのかも、とか・・・かなり廻ってますね。

それで、その「ドゥネダインの星」(族長仕様希望)をサムに与えたのではないかと思うのです。

「ドゥネダインの星」「エレンディルの星」同様、アラゴルン個人のものではないといえます。しかし決定的に違う所があって、それは、 「族長」が彼で終わり、「王」が彼から再び始まるという所です。

トムボンバディルが塚山で、ホビットたちに短剣を選び、その由来を伝える場面がありますが、そこでトムは

”しかし今でもまだ忘れられた王たちの子孫が放浪して歩いている”

と、語ります。その話を聞くうちに、ホビットたちは、

”その平原を人の姿が一人また一人と大股で通りすぎて行きました。その人間たちは背が高くきびしい顔で、輝く剣を身に帯びていました。一番最後に来たものは額に星をつけていました。"

というビジョンを受け取ります。このあたりの文章からトムが、北方王朝の興隆を見てきたこと、それから野伏が何をしてきたかを知っていたことが わかります。そしてこのビジョンは予言にもなっている訳です。 ”最後に来たものが額に星をつけていた”という一文は、アラゴルンの王位継承と、それに伴う北方王朝のある意味においての終焉を表しているのですから。 (”大股で通り過ぎる”なんて描写を読むとStriderというのがアラゴルン個人の呼び名というより、代々の族長の通称という感じもしますね。そうであると、王朝名をテレコンタールにしたのも思い入れが深くなりそうです)

アラゴルンの息子エルダリオンは、北方王朝由来のドゥネダインの族長を継ぐのではなく、北と南を統一したゴンドールの国の王を継ぎます。 したがって、族長を継ぐものはなく、また北と南のドゥネダインもまた一つにならなくてはなりません。 そう考えると北方王朝の結束のしるしであったドゥネダインの星はアラゴルンの代で消えていかなければならない運命にあるわけです。

そして言ってみればそうなったのは指輪が葬り去られ、サウロンが倒されたからであって、それは指輪所持者たちの使命達成にかかっていました。
それでアラゴルンは自らの手で、メリーやピピンにではなく、サムにドゥネダインの星を与えたのではないかと思うのです。

なぜこの年か、ということに関しての私の推測は次のようなものです。 ホビット庄歴1436年は「大いなる年」の17年後で、サムの娘エラノールは15歳。年表で、”エレスサール王北王国に行幸”と あります。ここで言及されているからにはこれが初めて公の行幸なのでしょう(ひょっとしたらお忍びでフォルノストとかにこっそり出かけてるかもしれませんけど)

およそ平和であると、王が言えるようになるまで、王がゴンドールをあけてある意味のんびりできるようになるまで そのくらい時間がかかった、という事なのだ、と私は考えています。 ”サウロンは滅びたとはいえ、かれが生じさせた憎しみや悪は消え去ってはおらず、白の木が平和に育つ日が来るまで、西方世界の王は多くの敵を鎮圧しなければならなかったからである” と追補編に、指輪戦争後も闘いが続いていたことが書かれています。この17年という時間で エレスサール王は、ゴンドールの復興と、領土の平定、そして、北のアンヌミナスの王の館を復元した、ということだと思うのです。 王が「一息」つける時間が取れるまで、17年かかったと思うと、長いというか短いというか・・・もちろんその後も闘いはなくならかった訳ですが、それだけサウロンの爪の後は深かったという事なのでしょう。 ようやっとエリアドールが落ち着き、北の都の復興を終えて、この1436年に、ホビットたちに会いに行き、ドゥネダインの星をサムに贈った と


この星は私の先祖たるヌメノーリアンが創ったものだ。エルフの技には遠く及ばない、人間の造ったものとはいえ、
これには我らの家系の願いと誓いが込められている。
かつて私の先祖が王国を失った時に、その王国の復興の誓いと、王の血統のしるしとして掲げたこれは、
代々の族長が受け継いできたもので、ドゥネダインの野伏たちが同じくその印しとしてこれを模した星を身につけてきたのだ。
しかし、もはや我々は荒野をさまようものでなく、この地は再び王の名の下に統べられることになった。
そう、ある意味北方王朝は終わったのだ。誓いを成就し、平和のうちに。

しかして、このような平和が来たのは・・今は西の地にある彼と、あんたのおかげなのだ、サムワイズ・ギャムジー。
だからこれを受け取って欲しい。北方王朝の最後の族長にして、ゴンドールの中興王の私が、感謝の念をもって 贈りたいのだ。



とかなんとか。ちょっと捏造がすぎますね。捏造ばかりしていないでHoMeを読む算段をした方がいいのかもしれません・・


追記:終わらざりし物語の訳注にて、HoMEに、「ドゥネダインの星」についての記述があると述べられて いました。終わらざりし物語出版後に、野伏たちがつけていた放射状の星型のブローチがそれであろう、という手紙が読者から届いた、という事でした。 考えることは皆同じ、というか、ちゃんとHoME読まなければ、ですね。
イタリック体の文章は邦訳本より引用mmmmm03/05/07
追記:03/12/25



イシルドゥアの勲し



"イシルドゥアはそれを取った。それは取ってはならないものであった "
指輪物語 旅の仲間 下 評論社 より


指輪物語ではほとんど良いところなしに語られるイシルドゥアです。彼は人間の弱さを語るのに、もっとも 引き合いに出される人物です。でも彼にも語られるべき勲しがあるのだと、気が付いて、彼の事を考え直してみました。

イシルドゥアはヌメノール生まれの第2紀最後の王です。 イシルドゥア、といえば指輪を自分のものにしてしまった愚かな、弱い人、という印象が強いですが、 その生涯を見てみると、大きな勲をたてています。

一つは、水没前のヌメノールで、白の木の実を王の庭から救いだし、中つ国へ白の木を継いだこと。
そしてもう一つはサウロンの指から指輪を切り落とし、一時なりとサウロンを滅した事です。

白の木、すなわち、ニムロスの木は、エルダールとヴァリノールの光を記念した、ヴァラールの恩寵の象徴とも 言える木で、ヌメノールの王統の運命と結びつけられているものと予言されていました。 イシルドゥアがニムロスの実を救い出した後すぐに、王の手によって木が切り倒され、一方で新しい若木がイシルドゥアの 元で育ったというのは、王自らの手による王統の滅亡と、新たな家系による王統の再生がイメージされます。 (だから、アラゴルンはエレンディルの子孫、ではなくイシルドゥアの子孫、という言い方をするのかもしれません) ニムロスの実から生えた若木が中つ国に繁り、王国が建ち、その白の木が枯れた後に、アラゴルンがゴンドールの王位を ついで、そして新たなニムロスの若木を見つける事ができた所と呼応している気がします。

そして言うまでなく、彼の最大の勲は、サウロンから指輪を切り取り、その力を限りなく削いだ事です。 父であるエレンディル、その同盟者でエルフの上級王であったギル・ガラドが討たれ、また自らの弟も この闘いでなくしたイシルドゥアが最後につかんだ勝利でありました。 もし、そのとき、イシルドゥアがエルロンドとキアダンの忠告を入れて指輪を滅していれば、彼は疑いなく中つ国一の英雄の誉れ高く、 称えられ、また中つ国は大いなる悪意から逃れた歴史を刻む事ができたでしょう。 しかし、彼はそうしませんでした。彼は指輪を自らのものとしました。それは大いなるあやまちでした。 その結果、イシルドゥアは指輪に裏切られ、殺されました。サウロンは復活を約束されてしまいました。

最後の最後で犯した過ちが大きすぎたために、彼の名はある意味、呪いのような重さを持って語られるようになってしまいました。

確かにイシルドゥアはあやまちを犯しました。しかし、彼の勲がなければ、ゴンドールに白の木は生い茂らず、 サウロンは中つ国を蹂躙して闇の領土としてしまった筈なのです。その勲をあだやおろそかに取り扱って 良いわけではないと思います。

イシルドゥアを思うとき、時代を3000年ほど下った後のゴンドールの執政を思い起こさずにいられません。 叡智の人であった父と、力と知恵に優れた息子を持ち、自らも秀れた人物であった事に違いはない 筈なのに、"自尊心と自らの意志の力を恃む気持ち"が強すぎたためか、手を出すべきでなかったものに 手を出して自滅してしまったデネソール候を。

イシルドゥアもこの"自尊心と自らの意志の力を恃む気持ち"というのがとても強い人だったのだろうと 思います。 指輪の力に引きずられたというのもあるのでしょうが、指輪を扱える程の自分である、という強い矜持が 最初にあったような気がします。逆に言えば指輪はそこをついてきたのかもしれません。 この強い矜持と傲慢さは、エルダールとの交流を捨て、ヴァラールへ反逆したヌメノール人に共通したものの ように思われます。 彼もエルフの友がらであった事は確かだったのでしょうけれども、水没したヌメノール人の悪癖から逃れられなかった という事なのかもしれません。

イシルドゥアの悲劇は、あやまちを犯した事だけではなく、あやまちを正す、償う事ができなかった、という所にあるような 気がしています。指輪物語ではさらっと流されているイシルドゥアの最後が、UTではかなり詳しく書かれています。

あやめ野で、オークに襲われたイシルドゥアの一行ですが、その時、イシルドゥアは、指輪を用いてオークを従わせられないのか? という息子からの問いかけに答えて言います。(以下私の拙訳です)

私はそれを使う事はできない。私はそれに触れる事の痛みを懼れている。そして 私はそれを私の意志に従わせる強さを未だ持ち得ていない。それは私よりずっと強大なものを求めている。 私の矜持は失われた。それは3つの指輪の所持者のもとにいくべきであった」※1

そして息子の助言に従い、三つの指輪所持者の元へ指輪を運ぼうと隊から離れるのです。

指輪物語を読んだ時は、イシルドゥアはただオークから逃げるために、指輪を使って、そして指輪に裏切られて 死んだと思っていたのですが、UTを読むと、彼は指輪をエルフの指輪所持者のもとへ委ねようと 行動していたのだという事になっています。 もしかすると、そういう行動(3つの指輪の所持者に一つの指輪を委ねようとした)を取ったために、 指輪はイシルドゥアの指から滑り落ちたのかもしれません。(これは考えすぎ?)

イシルドゥアは、最後に、指輪を我が物にしたあやまちを認め、どうにかそれを正そうと、行動しました。 それは結果として果たされず、まったく遅すぎる行動ではあったのですけれども。 もし彼がオークに殺されずにロリエンか、裂け谷に辿り着いていたならば、また中つ国の状況は 変わっていたかもしれません。指輪が指輪である以上、それはありえない事だったのかもしれませんが。

イシルドゥアは指輪について弱く、愚かでありました。傲慢で己の分というものに気付けませんでした。 しかし最後にはあやまちを正そうとする意志をも持つ事ができました。彼はあまりに人間らしい、といえば 人間らしい、人間の王であったのかと思いました。 イシルドゥアのその矛盾と無念をきっとエルロンド卿は分かって、そしてその事をアラゴルンに伝えたとすれば、原作でのアラゴルンが イシルドゥアの子孫である事を誇りに思っている部分も納得が行きますし、逆に、映画版のアラゴルンには、 「イシルドゥアは確かに弱かったけど、それだけじゃない人だったよ」と言ってあげたい気がしました。

生涯の終わりに大いなるあやまちを犯し、それを償う時間を得られずに死んでしまった、悲劇の人
イシルドゥアの私の中の印象は、ただ自尊心の強い愚かな男、とだけ断言はできない人だな、というものに 変わっています。

※1 原文は J.R.R.Tolkien, edited by Christopher Tolkien, Unfinished Tales (London: Harper Collins, paperback editinon 1998) pp. 354 line 32-36

イタリック体の文章は邦訳本より引用mmmmm03/05/24 改訂:原文出典明記 03/06/02




指輪戦争後のファラミアについて

そしてアラゴルンはファラミアにイシリアンを領土として与えました。

著:J.R.R.Tolkien、訳:瀬田貞二・田中明子 王の帰還下 評論社

ファラミアは、還ってきた王様である、アラゴルンによって初代イシリアン公に封じられ、ゴンドールの執政の職を改めて与えられました。しかし、指輪物語本編や、追補編では執政家のその後の事はほとんど語られておらず、 (隣国の王であるエオメル王の話の方が多いくらいで)一体彼は指輪戦争後どうしていたのだろうかという 疑問を持っていました。
なんとなく思っていたことは、イシリアンに封じられたのだから、エミン・アルネン(ここはもともと執政家が出た土地柄ですが)に住まいしたであろうこと。執政職にあったのだから、王の政治補佐をしたであろうこと、王の帰還でアラゴルンがファラミアにエミンアルネンに住まうよう命じる理由に”モルグル谷のミナス・イシルは、これを徹底的に破壊されなければならない”と言っているので、 ミナス・モルグルをはじめとするモルドールの残存する闇の勢力の討伐をおこなったのかな????という事 ぐらいです。

この第4紀のファラミアに関する記述ですが、HoMEとトールキンの書簡集にもう少し詳しい記述がありました。HoME12巻では

he dwelt in a fair new house in the Hills of Emyn Arnen,whose gardens devised by the Elf Legolas were renowned.
HoME 12 220p 30line


とあるので、エミン・アルネンの丘に、きれいな新しい家を建てて住まいしたようです。そしてその 庭は、レゴラスが趣向をこらしたもので名高かった、と。

HoMEは草稿集ですから、結局教授はこの設定を捨てたのかもしれませんが、指輪本編とも追補編とも 矛盾しませんし、レゴラスの住まいしたのが北イシリアンである事を考えればこのような事があってもおかしくないと思われます。

書簡集の244番ではエオウィンとファラミアについて、そしてイシリアン公としてのファラミアについて述べられています。トールキンはこの手紙のなかで、イシリアン公であるということは「market-garden job」ではないと言っています。(単純な仕事じゃないよ? ということでしょうか)

オークの残党などの掃討や、失われていた領土の再建のためにはとにかくたくさんする事がある、ということ。アラゴルンの治世の最初の時期に、戦いが(特に東方で)たくさんあったことははっきりしている、という事、その時王の元でのChief commandersはファラミアとイムラヒルであろう、ということ。王の不在時には、二人のうちどちらか一方がミナスティリスにいる軍の指揮官であること。
それからファラミアはアラゴルンが再編成したゴンドール大会議で、主要な助言者たるであろうこと と列挙されています。うーーん忙しい(^^;)。エミン・アルネンのお家でくつろぐ時間とかあっただろうか。 少なくとも最初の10年くらいはずーっと忙しそうです。

こうしてみると、トールキンの中では、わざわざ本の中で書いていなかっただけで、ファラミアがエレスサール王を助けてたくさんお仕事していたのはデフォルト設定だったようです。そうすると、ひょっとしてアラゴルンとエオメルとファラミアが轡をならべて戦った、という事もありうるのかもしれません。国外遠征の時は、ファラミアとイムラヒルのどっちかが王といっしょにでかけてどちらかが都を守っていたという事でしょうから。 (エオメルはどっちがでてきても、身内ですね・・義父か義弟かの違いだけで。しかもその義父と義弟も叔父と甥の関係ですし(^^;))

ファラミアの子孫で名前が出ているのは、指輪物語では、序章に登場する、「アラゴルンとアルウェンの物語」を書いたとされる、孫のバラヒア一人です。それから、HoMEの12巻の系図に、「第2代イシリアン公のElboron」とあります。この2点から推測できることは、少なくとも一人以上の子供がおり、また一人以上の孫もいた、という事です。以下は憶測ですが、このバラヒア、「執政ファラミアの孫」という書かれ方をしているので、この人自身は執政ではない可能性があると考えられます。もし執政であれば、そう書かれるかなと。またもし父親が執政職にあれば、その「父の息子」という書かれ方をするのではないか? と思われるので、ひょっとしたら第2代イシリアン公の兄弟姉妹の息子なのかもしれません。(もちろん、単純に指輪物語の読者に対し、なじみのある名前を出したかったという事で、彼は第3代のイシリアン公なのかもしれません) お祖父ちゃんに一番似ていて、古い伝承を書き記したり、物語をかきつけるのが好きな人だったりして。

ファラミアは指輪戦争後、「旅の仲間」たちとの交流を深めたようです。レゴラスは彼の庭をこしらえ、ピピンは息子に彼の名前をつけました(これはもちろんピピンがゴンドールの騎士であることも関係しているかもしれません)メリーとギムリ、サム、とファラミアの交流の記載は指輪物語にはありませんが、メリーはイシリアンの奥方であるエオウィンと近しいですから、イシリアンを訪ねた事もあったでしょう(そもそもファラミアにエオウィンについて療病院でいろいろ話したのはメリーです)、ギムリは長くミナスティリスで建築の仕事をしたようですからその際に仲良くなっているといいな、とこれは希望です。サムは、さすがにほとんどホビット庄を出ていませんからあまり交流はなかったような気がしますが、フロドの思い出とか手紙のやりとりをしていたら嬉しいなあ、とこれも希望ですね。 アラゴルン ― エレスサール王にとってファラミアは数少なくなったドゥネダインの一員で、また、彼とはガンダルフを通じたある意味兄弟弟子でありますから、ガンダルフの思い出や、さまざまな伝承について語れる相手でもあったと思います。また旅の仲間であったボロミア、青壮年期の一部を共に過ごしたデネソールについて語れる相手でもあったことでしょう。

ファラミアは「旅の仲間」ではありませんでしたが、「旅の仲間」だったものの弟として、そして指輪と指輪所持者と関わったものとして、「旅の仲間」とは深くつながりを作れたのかもしれません。ゴンドールの執政として、軍の大将として共に王国の建て直しに力を尽くした事で、また持ち前の高潔で温厚な人柄で「旅の仲間」たちとの友誼をいっそう深めたのではないか、と思います。

ファラミアは敬愛する王に仕え、ゴンドールの内政と外征に力をつくし、伴侶と子供にめぐまれて、 近年の執政としてはかなり長命な、120才まで生きました。 彼が自らの人生を納得して、満足行くように生きたであろうことは想像に難くありません。

彼が美しく豊かなイシリアンの領地で(多分)その最後を全うし、ラス・ディネンの墓所で代々の執政と共に 眠る姿はきっと、美しかったであろう、と思います。
イタリック体の文章は上記邦訳本より引用mmmmm03/06/19

キリ番部屋から移動03/09/20

兄弟不在の執政家

"・・・後を継いだのは、エレスサール王の執政、エミン・アルネンの領主である次男のファラミアである。 "
指輪物語 追補編 王たち統治者たちの年代記 より


指輪物語追補編、王たち、統治者たちの年代記では、ヌメノールの王たち(最初の王、エルロスから始まって、 第3紀の最後の王、アラゴルンにいたる王たち)、またゴンドールの執政家、エオル王家、ドゥリンの一族に ついて述べられています。指輪物語は、教授が選択して、出版された最終稿な訳ですが、この他にたくさんの 細かい設定(それは結局取り入れられたのか、ただ捨て去られてしまったのか判然としないものも多いのですが)や、最終稿にいたるさまざまな過程の原稿があって、それはThe History of Middle Earth(HoME)という題名で、トールキンの息子であるクリストファー・トールキンにより、まとめられ、出版されています。
そのHoMEの12巻目、The Peoples of Middle-Earthに、この追補編の原稿が納められていて、その中の王たち、統治者たちの年代記では、最終稿では削られた(設定として捨てたのか微細な事がらなので省略したのか) 設定や文章が入っており、それを読んでいたときに興味深い事を見つけました。

そもそも、追補編で、ゴンドールの会議が、アルノールの最後の王アルヴェドイの王位の請求を退けるさいの理由として、ゴンドールにあっては、この相続財産は男系をとおしてのみ伝えられることになっていると言っているのですが、それが本当にそうだったのだろうかという素朴な疑問を確かめて見ようと思った所から始まります。

ゴンドール。アナリオン王家は、基本的に男系の男子相続、すなわち息子の息子が王権と財産を相続していく、というタイプで、エレンディルの次男、アナリオンから最後の王、エアルヌアまでおよそ2000年の間王統が続いていました。この2000年間ずっと長男がその長男に王位を渡してきたかというとそうではなく、この2000年間に、子供がいなかった王が二人、病気や戦争で跡継ぎが死んでしまった王が二人出ています。これらの時はそれぞれ、甥(弟の息子)弟、次男、または弟の子孫から次の王が選ばれており、確かに追補編にある通り男系で王権が引き継がれています(最後の引継は、戦死した王の、2世代前の王の弟の曾孫を選ぶというかなり力技な男系の相続ですが、この場合は、外国からの王位請求への反発という意味合いが強いのでしょう。いくらかつては兄弟王国とはいっても、今となってはそれほど強い結びつきを持たなくなっている外国からの王位請求よりは、 多少王の家系を遡るにしても、自国の、凱旋将軍を王に抱く方が自然であったという事であろうと思われます。)

そして、アルノール。北方王朝は奇跡的とも書かれていますが、イシルドゥアからアラゴルンまでのおよそ3000年の間、長男の長男がずっと王権(と族長)を引き継いでいます。確かに3000年の間、王に必ず一人以上の息子が生まれて、その息子は跡継ぎを残すまで生きていられた、というのは奇跡的な事のような気がします。

さてここでゴンドールの執政家に話を移します。執政家もゴンドールの家ですから、基本的な相続は男系の男子相続の筈です。執政の世継ぎとして、長男が早世すれば次男が、息子がいなければ弟、または甥(弟の息子) が選ばれるのが、男系長子相続では一般的と考えられます。しかし、執政家27代(統治権を持つ執政家として)、1000年の間で、弟の家系がその家を継いでいるのは、最後の執政であるファラミアただ一人なのです。

それではそれまでずっと長男の長男が家を継いできたのかというと、そうではありません。子供のいない執政はこの27代中二人出ています。 執政がどのように選ばれているかということは追補編に書かれていて、執政職は王権と同じく、父から息子あるいは最も近い近親者に伝えられる世襲の職となったとあります。 子供のいなかった執政の跡継ぎは、HoMEによれば結局、どちらも執政の姉妹の子孫(一人は執政の甥(姉(妹)の息子)でもう一人は執政のおばの孫息子)が選ばれています。このことからは、子供のいなかった執政その人自身に兄弟や叔父、時によっては従兄弟がいなかったらしい事が伺われます。息子がいない場合の執政の跡継ぎはゴンドールの会議が決定することになっていたとHoMEには書かれています。(執政に息子がいる場合は会議に執政を決める力はなかったとも書かれています)

この跡継ぎの選ばれ方や、また年代表に書かれている執政の系図を読んで行くと、どうも執政家では男兄弟というものがそう多くなかったように推察されます。

これはHoMEにコメントされているものから拾ってきたものなのですが、執政で、一人っ子と明記されているのが一名、状況から一人っ子と思われるものが一名、姉妹はいるが兄弟はいない、一人息子と思われるものが6名、27代中、8代の執政が弟を持たないようです。その場合、当然兄はいません。(女性が関わる相続の優先順位如何によってはもう少し一人息子執政が多いかもしれません。)はっきり兄弟として出てくるのは、27代執政のファラミアとその兄、ボロミアだけです。

南方王国の貴人たちは結婚が遅く、子供の数が非常に少なかったと追補編に書かれている事の結果なのかもしれませんが、三番目の子供というコメントがついた執政が3名(男系男子相続なのだから上二人は女子ということですね)、「2度結婚して何人か子供がいたが、息子は最後に生まれた一人だけ」という執政がいたり、するのを読むと、執政家は王家に比べ男子が生まれる率がそれほど高くないような印象を受けます。 兄弟不在というよりは、執政家男子やや不足気味といった感でしょうか。

執政家は男系男子相続とはいっても、間に女系を通じてその家系を保ってきたわけで、もしこのHoMEの設定が 指輪物語本編にも生きているとすれば、デネソールが語った、「自分はアナリオン王朝の執政で、イシルドゥアの家系からのみ出ている王には仕えない」、とする言葉に矛盾を感じてしまいます。 何故ならば、アラゴルンは、アルノールの最後の王、アルヴェドイと婚姻した、ゴンドールのオンドヘア王の娘フィリエルを通じてアナリオンの家系にも連なるからなのですが。 自分の家系は女系を通じて執政職を相続されてきたのに、王権は女系を通じる事を否定するというのは、 なんだか矛盾です。王様は別格、という事なのかもしれませんが、自分の家系の事は棚に上げて、という感が 否めません。

  HoMEによればデネソールはエクセリオン二世の三番目の子供であり、最初の息子として生まれています。 もしデネソールに弟がいたらどうであろうか、と考えてみます。彼の孤独と重荷を分かち合う弟がいたら、 モルドールに対抗するゴンドールの盾がもう一枚あったならば、ボロミアにとってのファラミアのように、自分に一番近く、そして信のおける存在があったならば、デネソールは、そしてゴンドールはもう少し違った歴史を歩んだのではないだろうか? と思ってしまうのです。 もっとも、親族のように似ていたとされるソロンギルとの関係がそれほど良いものとはいえませんでしたから、 弟がいたとして、素直にデネソールが弟の補けを受け入れたかどうかは、はなはだ疑問でありますけれども。

ゴンドールにしろアルノールにしろ、ヌメノーリアンいったいが時代が下るにつれて子供の数が少なく、 言ってみれば人材不足なので、執政家も、もっと子供の数が多くて、執政に弟も妹もたくさんいて、その子供たちが多くあれば、モルドールに対抗する苦労もずっと減ったのではないだろうか、と思います。もちろん、兄弟姉妹が大勢いたら全てシアワセで終わるかといえば、必ずしもそういう事ではない訳で、いればいたで、今度はいることによるごたごたやお家騒動が起きないとも限りません。 ただ、ボロミアとファラミアのような兄弟があれば、お互いがお互いの助けになり、モルドールに対するより堅固な構えを作る事ができたのではないだろうか、と思えてならないのです。

考えてみると、こんな兄弟の少ない(と思われる)執政家において、あの指輪戦争の時期に、ボロミアとファラミアという兄弟が出た事は非常なる僥倖にも感じられます。もしデネソールの息子が一人しかいなければ、モルドールから攻勢をかけられているあの時期に、息子は裂け谷への出立を許されなかったかもしれません。また全てをおいて裂け谷に旅だっていたら、アラゴルンが戻る前にミナスティリスは陥落していたかもしれません。 指輪戦争の時に信頼と愛情で結ばれた兄弟がゴンドールにいた事が類い希な幸いであったと、改めて思われました。

イタリック体の文章は邦訳本より引用mmmmm 03/09/19

執政と王 - 王国の復活 -

わが殿よ、殿はわたしをお呼びでした。まいりましたよ。王は何をご下命でしょう?

著:J.R.R.Tolkien、訳:瀬田貞二・田中明子 王の帰還上 評論社

ファラミアは療病院で、アラゴルンの手によって、癒されます。目覚めると同時にアラゴルンを王と認めるこの場面は、アラゴルンを王と認めてゴンドールの行く末を託し、死んでいったボロミアの絶望とは対照的で、ゴンドールという国自体としては、最後の闘いの前という絶望的な状況でありながら、希望と、穏やかさに充ちています。
このような大なる権利は立証されねばならぬだろうし、明白な証拠物件が要求されるであろうとは、ファラミアが、はじめてフロドたちからアラゴルンの存在をはっきり知らされた時の言葉です。この時はそうそう簡単に王の子孫などとは認めないぞ、とでも言うような雰囲気もありますが、実際には、アラゴルンによって癒されると同時に彼を王と認めています。この若干唐突とも思える王の迎え入れはどういう事なのでしょうか?

一つは、ファラミアは、すでに王が還って来ることを予告されていた、という事です。 彼は伝承に詳しく、またガンダルフの教えを受けていました。ミスランディアは一度として未来のことを我らに話してくれたことはないしまたかれの意図するところを明かしてくれたこともないとはファラミアの言ですが、それでも、ガンダルフは何げに一回くらいは、王還ります時、が来ないとは誰が申したのかな、くらいはファラミアに言っていそうな気がします。(実際、似た感じの事をデネソールには言っています)また父デネソールはかつての同輩が北の王の子孫であることを推察していますから、その父の態度や言葉の端々から、北の王の血筋は言い伝えの中だけではなく、実際に存在していること、また自分の代でそれが実現するかどうかはともかくとして、王の帰還が絵空事でないことを分かっていたのであろうと思います。
そして極めつけが、フロドから知らされた、実際の王の子孫である「アラゴルン」という存在。そして 兄、ボロミアがその男を尊重していた事実、またフロドとサムが語った言葉から推察されるアラゴルンの人となり、それらを得て、血統的にもその資質的にも王にふさわしい男がゴンドールに還って来る、と言うことを受け入れられたのではないでしょうか?

そしてもう一つは、夢の記憶という事です。ファラミアは西方人の血を色濃く受け継ぎ、夢による予兆を得ていました。「王の帰還」の中では、エオウィンに、ヌメノールのことを良く夢に見ると言っています。エオウィンには、ヌメノールの水没の記憶について語っていましたが、彼が見たヌメノールの夢がそれだけとは思えません。彼は時に繁栄したヌメノールの街並みを見、また自らの祖先が仕えた王の姿を夢に見ていたのではないでしょうか。

つまり、ファラミアはこの時までに王の還りを受け入れる下地ができていたのだと思います。

ファラミアが、アラゴルンに呼び戻された時、ファラミアは目を開けて、アラゴルンの顔を見ます。 そして、その目に認識と愛の光が点じられましたとあるので、アラゴルンのその 顔に、夢に見たヌメノールの王の血筋の顔立ちを見、また、黒の息のために影の中で迷っていたとき自分を呼び戻した声の持ち主である、と知ったという事なのでしょう。アラゴルンは王の名の元においてファラミアを召還したのではないか、と思いはしますが、それは想像の域をでません。
しかし、その顔立ちが夢に現れた王のものと重なった時に、ファラミアは、自分を呼び返した眼前の人物が 王である事に疑いを抱くことはもはやなかったのだろうと思います。


ゴンドール国の最後の執政は、ここにつつしんでその職をお渡し申し上げます

著:J.R.R.Tolkien、訳:瀬田貞二・田中明子 王の帰還下 評論社


1000年の間王に代わって守り続けた王国を差し出す執政の、その潔い姿と、その1000年の奉公に応えるように、改めて執政の職を与える王の寛容な姿。公の場で初めて表れるこの執政と王の姿は、華やかな戴冠の儀式の前にあった、一瞬の緊張をともなう、しかし威厳に満ちた美しい場面です。

執政が簡単にその統治権を手放しているかのようにも見えますが、そもそも、執政は、その統治のはじまりを、王還りますまで王の御名において、杖を持ちて統治す、と宣誓した後行っています。
時代が下るにつれ、その宣誓が形だけのものとなり、執政が王の権能を全て行使しはしても、執政家が王家に取り代わる事はありませんでした。こうしてただ― 王の代理 ― として国を治めてきた訳ですから、これは形から言って、王が還ってきたら、その統治権は王に返されねばなりません。返さない事は、王と、自らの誓いそのものに背く事になります。

執政の職が差し出され、王に受け入れられ、そして再びフーリン家に与えられたその一連の流れは、国を守ってきた執政と還ってきた王とがお互いにお互いの事を認めあった象徴のようにも感じられます。

もっとも、戴冠式の際の口上に関しては、あれは儀式なので、恐らくその前にアラゴルンとゴンドールの諸侯たちは会議を簡単に開いて、王の帰還を認めることと、今後の役職の引継をどうするかを見当したのではないだろうか、と勘ぐっております。 凱旋将軍で癒しの手で、アルノール王国の王冠であるエレンディルの星と、鍛え直したナルシルとを持ち、 なお、エレンディルに似た顔立ちのアラゴルンを認めない諸侯は一人としていなかったと思われますけれど も。

代々の統治権を持つ執政の中には、王が還ってきたら統治権を返さなければならない、という事に関して、心を頑なにしていた(デネソールのように)ものも少なくなかったようですが、ことファラミアはどう考えていたのでしょうか?
執政の職務に関する彼の考えは本文では述べられていませんから、その彼の気持ちは推測する事しかできません。ただ、そもそも、次男という生まれからいって、統治権を最も大なるものとする執政の職を自分が受け継ぐものではないと育ってきた人ですし、また彼は理の人、高潔の人です。あの指輪ですら、たとえ道端に転がっていようとそれを取ろうとは思わないと言い切った人でありますから、執政の職を返す事にためらいを覚える事はなかったであろうと考えられます。

ファラミアが執政を辞める気でいたかどうかは彼本人でないとわからない事ですが、少なくとも、彼は自分が父親を含めた代々の執政がしてきたように、都を統治することはありえないだろうと考えていた事は事実です。なぜならば、エオウィンに、彼女にその気持ちがあるならば、結婚し、イシリアンで暮らしましょう、と言っているからです。アラゴルンが還って来た以上、王に統治権を返すのは必然です。彼がもともと執政家が出た領地へ戻る、と考えていたであろうことは自然だと思います。

 ただ、ファラミアはいろんな意味で立場をわきまえて動く人だと思いますし、もし自分が執政職を解かれたとしても、ゴンドールの国人として、彼なりの立場で王に仕えようと思っていたのではないかと思います。
そしてアラゴルンは・・・40年ほど前、とはいえ、ゴンドールの中枢部にあった訳で、その政治形態などはチェックしていただろうし、実際問題、サウロンが滅して、自分が王位についたとはいえ、「後はみんな幸せに暮らしました」の前に鬼のようにやるべきことが山積み状態、というのは分かっていた筈です。なので、使える人材を引退させる気持ちはなかったのではないか、と考えます。特にファラミアは能力も高いし、血筋もいいし、で新体制にははずせない人間だったのではないでしょうか。

後は政治的な点からも、いきなり、執政職や、ゴンドールの指導者層を変える訳にはいかないのではないかな? と。そんな事をしたら、いくら王であっても、旧勢力者たち、すなわち、ゴンドールの指導者層、諸侯たちに反発をくらいそうです。もちろん、王権復古をきっかけに旧勢力の粛清、政治経済体制の大改造というのもありだと思いますが、いかんせんアラゴルン本人の持つ後ろ盾(北のドゥネダイン、裂け谷のエルフたち)というのはゴンドールに対する人的な影響力としては小さい訳ですから、いきなりゴンドールの指導者層全とっかえ、といってもムリであろうかと思われます。アラゴルンなら、旧指導者層の既得権の変更と、自ら行う王政とのバッティングを可能な限り押さえ、スムーズに新体制へと移行させることができたのではないかと思います。

一般的に王位請求者と旧勢力者の間には、なにがしかの軋轢が出ることが多いものだと思われます、しかし、旧勢力者筆頭である執政ファラミア、そしてゴンドールの国における有力者である、ドル・アムロス大公は、アラゴルンと会った時から(彼の場合は再会となるわけですが)、また諸侯たちも、アラゴルンと闘いを共にしてから、彼の王たる正当さを受け入れていますし、またアラゴルンも彼らの力を認めたので、新しい王朝は比較的スムーズに始められたと考えられます。
(後は本当に長い戦のために人材は不足していたと思われ、北だ、南だなどと言っている余裕はなく、とにかく総員、エレスサール王の元で一致団結して事にあたっていかないとゴンドールは立ちゆかなかったので、 家中でごたごたを起こす事がなかったのだ、という気はします)




Et Earello Endorenna utulien. Sinome maruvan ar Hildinyar tenn' Ambar-metta !
大海より中つ国にわれは来たり。この地にわれと我が世継ぎたち、この世の終わるまで住まいせん


著:J.R.R.Tolkien、訳:瀬田貞二・田中明子 王の帰還下 評論社


還って来た王、アラゴルンによって、ゴンドールは蘇りました。
この指輪戦争末期のゴンドールはまさに滅びの一歩手前の状態でした。
王は既に死に、王冠は王の眠る膝元にただ据え置かれてありました。白の木もとうに枯れていました。王が死んでから、ゴンドールという国は存続してはいたものの、ゆっくりとではありますが、だんだんに、死んでいっていたように思えます。 王が死に、白の木が枯れ、執政が死に、執政の世継ぎが死にかけ、あの時アラゴルンが還らなければ、執政の世継ぎは死に、塔は崩れ、残った民も死に行き、王国は滅んで再生はかなわなかったでしょう。アラゴルンの帰還は本当にぎりぎりのものだったのではないかな、と思います。

ゴンドールは王を無くし、ゆっくりと滅びに向かって進み、そして、また、北のアルノールでは、王の血脈は絶えませんでしたが、民=臣が減りすぎてしまって国が滅んでしまいました。ミドルアースにおいては、王国が成り立つためには「王」「民」とどちらも必要である、という事なのでしょう。

ミドルアースにおいては王統というものがたいそう特別視されています。王のその血統は非常に重んじられ、覇王はあまりよろしくない、という雰囲気です。

そもそも、ヌメノールの国は、モルゴスとの闘いに際し、ヴァラールに味方し、エルダールと共に闘ったエダインがその褒美として知恵と力と長寿を与えられ、住まう土地も与えられた所から始まっています。

いってみれば神の祝福を受けて開かれた国、神に選ばれた人々の国です。

そしてその王は、ヴァラールから直接任命された、エアレンディルの息子、エルロスです。王は、ヴァラールから直接選ばれたものであり、また、王は人間の血だけではなく、エルダールと、マイアールの血をひくものです。すなわち、より神に近いもの、親しんでいるもの血を受けています。このような特別の血を持ち、神に選ばれたものが初代の王であった国において、王の血統というものが、他の臣民のとは別のものであり、その血があればこそ、ヴァラールの恩寵もあつく、臣民たちを導いていける、という風に考えられても不思議ではありません。

つまり、王と臣との間には歴然とした差があった、という事なのだろうと思います。

王のいない王国を守ってきた執政家ですが、彼らは王の直系の家系ではありません。
執政家も、高貴なヌメノール人種の一人であるフーリンの子孫であり、王家の血筋が一滴もはいっていない、という訳ではなかったようで、HoME草稿の設定では婚姻により、王家とのつながりはあったようです。
それでも執政家のものが王に成り代わる事はありませんでした。それは自らの誓いにしばられていた、という事が第一でありましょうが、王の直系の血統でなければ王として国を安寧に導けない、という事にしばられていたような気がします。

ゴンドールの人が王統を尊ぶのはもはや、王という存在が、DNAに刻み込まれているとしか思えません。とりわけ、ヌメノール人の子孫であるゴンドールのドゥネダインたちは、 - 夢とも記憶ともつかない場所で - 、自らが仕えた王を知っていたために、王という存在が自らとは異なる存在である、とわかっていたために、己を王となすことをしなかったのかもしれません。 そのために、ヌメノールの血が薄かったらしいボロミアは、恐らくは夢の中で仕えるべき王を知ることがなかったがために、どちらかというと近代人風で、何故執政が王になれないのか? という疑問を持ち得たのかもしれません。


見よ、 王を!

著:J.R.R.Tolkien、訳:瀬田貞二・田中明子 王の帰還下 評論社


王位の継承、戴冠式、最高潮の場面です。アラゴルンのこの戴冠の儀式は、ミナスティリス城壁外、 大門前の広場で行われました。このような変則的な戴冠式となった理由は、恐らく、アラゴルンが「外」から の王位請求者であったためではないかと思われます。すなわち、彼はゴンドールの王の血筋のものでありながら、ゴンドールの国人ではなく、しかし都には王として入城すべきであろうと考えられたからでしょう。

本来、王冠に象徴される王位は、王が次代の王へ直接譲り渡すか、あるいは死した先代の王の墓から、次代の王自身が取り上げる事となっていたようで、王冠=王位の継承は、は基本的に王以外のものの介在が許されない儀式と考えられます。

アラゴルンの戴冠は、都の外で行われたために、王冠は先々代王のエアルニル王の膝元から執政ファラミアの手によって持ち運ばれました。執政の職権を行使しとありますが、これは執政が先代王になり代わって、王冠を運んできたという解釈をしてよいのだろう、と思います。その王冠を自ら戴く前に、フロドとガンダルフの手を煩わせたのは、アラゴルン自身が言っている、予は多数の方の苦心と勇気により王位を継承するにいたったという理由そのままであろうと思います。

とりわけガンダルフは、アラゴルンにとって、であり、良き導き手であり、人間にとっては短くない年月、共にサウロンの力に対抗してきたもの同士です。アラゴルンはまた、ガンダルフがそう遠くない先に、この中つ国から西に旅出つであろうことは承知していた筈です。彼がこの世界から旅立つ前に、彼の采配に敬意感謝の気持ちを込め、また彼の祝福を受けたいという願いを込めて、王冠をガンダルフの手によって戴きたいと言ったのでしょう。(ガンダルフ(マイア)の祝福を受けたアラゴルン(人間)ですが、ガンダルフ出血大サービスという感じではあります。歴代の王の中で直接マイアの祝福を受けた王というのは、ヌメノールの時代はともかく、中つ国にきたエレンディル以降の王にはいないような気がします)

この戴冠式の場面は、アラゴルンが人間と、人間ではないものたちから祝福されて、中つ国の王として、新しい時代をはじめる晴れがましくも威厳に満ちたところで、私はたいへん好きです。


イタリック体の文は著:J.R.R.Tolkien、訳:瀬田貞二・田中明子 指輪物語 評論社 及び、
著:J.R.R.Tolkien、The Lord of the Rings:The Return of the King (London: Harper Collins, paperback editinon )  より引用mmmmm03/10/13

ローハンの白い姫君

人々は、城壁から降りてきて、手に手を取りながら療病院へ足を運んでいく二人の周りに日が輝くのをみました

著:J.R.R.Tolkien、訳:瀬田貞二・田中明子 王の帰還下 評論社


エオウィンには怖れがありました。それは、誉れと功を得られない こと。檻の中でただ何もせずに朽ちて行くことでした。彼女にとってはその怖れをうち払うこと、すなわち檻をやぶり、すぐれた功を得ることが、一番の望みでありました。 アラゴルンは、エオウィンのなりたかったもので、暗闇をうち破ってくれた人です。エオウィンは自分こそが ローハンの二重の檻を破りたかったけれどもかなわなかった。だからこそ閉じこめられたその扉を開け放ってくれた 解放者、そしてその身に勇気と栄光とをまとった、アラゴルンに想いがまっすぐ進んでいったような気がします。

彼女の想いが、アラゴルンが言ったような姫はわたしのなかに、ただある影、ある思念を愛されたにすぎぬもの、恋情とまったくの別物だったとは思えません。アラゴルンは力強く、深い英知を持ち、 情に篤い、ひとくくりで言うなら「立派な」「乙女が恋心を抱くに十分な」男性だったのですから。
ただ、蛇の舌の影響下にあった逼塞したローハンで出会ったからこそ、より強い想いがアラゴルンに対して向いたのではないかと思います。

アラゴルンはエオウィンの不幸を理解しました。そしてまた、エオウィンが自身に向けるひたむきさや愛を知り、そういった彼女の事を愛らしく、いとおしくさえ思ったでしょう。しかし彼には、既に彼の心全てを捧げたアルウェンがおり、彼女以外の女人に対し、恋情につながる愛情を注ぐ事はしませんでした。
アラゴルンはエオウィンの真剣な愛情に真面目に応えていますが、その応えはエオウィンを満足させるものではありませんでした。でもそれは人の気持ちの動きとしてしょうがないことであり、アルウェンとの絆を考えればそれがアラゴルンにとっての、二人の女性に対する立場や想いの深さの違いというものだと思います。

アラゴルンとアルウェンに運命的な結びつきがなされていなければ、或いは、アラゴルンはエオウィンの愛情を受け、彼女に彼自身の愛情を捧げる事もありえたかもしれません。
しかし、もしアルウェンとの絆がなかったとしても果たしてアラゴルンがエオウィンを受け入れたかどうか、 また、エオウィンがアラゴルンと結婚して果たして幸せであったかどうかは疑問です。必ずしも捕らわれ人の救い主が、その解放された囚人にとっての伴侶として適当であるのかどうかは不明であると私には思えるのです。

あなたが、たとえ悲しみも不安もない、何不自由のない姫君であろうと、あるいはまた、ゴンドールの恵み豊かな妃であろうと、わたしはやはりあなたを愛するでしょう
著:J.R.R.Tolkien、訳:瀬田貞二・田中明子 王の帰還下 評論社


ファラミアにとってエオウィンは、兄を亡くし、父を亡くし、自らも傷ついて、王が還って来たとはいえ、サウロンとの闘いの勝利の見込みは薄く思われていた、何もかも失うこの時にあって、視界に入ってきた美しく勁いひとでしょう。言ってみればファラミアの最近の世界は、無彩色のそれだったのではないかと思います。その無彩色の世界の中にあったファラミアが、エオウィンを見た時、彼女の姿がくっきりと、天然色に映って見えたのではないだろうかと、思いました。
ファラミアのエオウィンへの愛情のはじまりは、ベレンとルシアン、アラゴルンとアルウェンの愛のはじまりにも似ているような気がします、その人を見た瞬間にその美しさに心を打たれ、恋に落ちるというのは、トールキン教授にとっての愛のはじまりの定義なのかもしれません。(およそ昔話や、物語では一目ぼれというのは多いものですが)蛇の舌の毒によりアラゴルンには、目にはまだ美しく見えるのに、霜におかされまもなく倒れて死んでしまうと評されたエオウィンの姿ですが、ファラミアの目にはその霜に侵された姿が見えたと同時に、霜に侵される以前の、もしくは凍り付いた活液がふたたび蘇った時の姿が見えたのではないのだろうかと思いました。
エオウィンがアラゴルンに恋したのが必然だったならファラミアがエオウィンに恋したのもまた必然と思えるような気がします。
そしてメリーから聞いた話と、エオウィン自身との会話から、ファラミアはさらに彼女について理解を深め、彼女に対する想いを強くしていったのでしょう。

上にあげた、ファラミアのエオウィンへの求愛の言葉の意味を考えてみました。
例えば、サウロンの脅威がない、平和の時代にあって、ローハンの王家の娘として何不自由ない姫君としてあったとしても、彼女の聡明さや、靱さ、優しさと、愛情の深さ。潔さやそしてある部分の頑なさは恐らく変わらないでありましょう。
また、もしも、ゴンドールの王妃として、というのは多分、ですが、「王妃」という立場であったとしても、という意味合いだと思います。アラゴルンと婚姻して王妃となったとしても、あるいはエオウィンがゴンドールに王います頃つまり1000年以上も前に生まれ、ゴンドールの王妃に望まれ、王妃となっていたとしても、やはりエオウィンのエオウィンたる部分は変わらないでしょう。
そしてファラミアがその時にあってエオウィンに出会うことがあったならば、その変わらぬであろうエオウィンをやはり愛するでしょう、そして、今このゴンドールで、傷ついて自分の前に立つエオウィンこそも、まさにエオウィンであるが故に愛するでしょう、という事なのではないかと思います。

つまりはどんな立場、どんな状況にあろうとも、エオウィンをエオウィンたらしめているその本質に変わりがあろう筈がなく、ファラミアはその本質をこそ愛するのだ、と伝えたいのではないでしょうか? ファラミアが美しい、と言ったのは、エオウィンのその輝く金髪や整った顔立ちだけではなく、(最初の印象は外見だけであったかもしれませんが)その心根や、凛としたその姿勢や、そういったエオウィンという存在そのものを美しいと言っているのではないかと思います。
あなたがいつ、どこにあっても、あなたが自身であるが故に私は貴方を愛するであろう、とファラミアはエオウィンに告げているのだと思います。


その時エオウィンの心に変化が起こりました。でなければ遂に彼女はわが苦しみの真因を理解したのです
著:J.R.R.Tolkien、訳:瀬田貞二・田中明子 王の帰還下 評論社


ここでエオウィンは何故ファラミアの求婚を受け入れたのか。アラゴルンの事を愛していたのではないの? という疑問が出てきます。エオウィンのアラゴルンへの愛情がなくなってしまったとは思えません。けれどもその愛情は最初にエオウィンが抱いたものから変化してしまったような気がします。

エオウィンは、アラゴルンが馬鍬砦を立つにあたり、彼が砦に残らない事により、またエオウィンを共に連れようとしないために、自分の愛に愛を返してくれないのだ、という事を知り、そしてまた愛が得られないと同時に、共に闘い、功を得る事も否定され、彼女は失望します。彼女はその失望を埋め合わせるかのように、自らの意志で戦場に赴きます。功を得る機会を与えられないというのならば、自らがつかみにいく、そうエオウィンは考えたのでしょう。あるいは。もしかしたら一縷の望み ― 大いなる勲をたてる事により、アラゴルンが自らに目を留める事がかなうのでうはないか ― さえ持っていたかもしれません。けれどもそれは本の中では語られていない事柄です。
エオウィンは魔王と闘い、それを滅ぼすという功を立て、誉れを得ました。
しかしその事が彼女に喜びをもたらし、不幸を減じたかというとそういう訳ではありませんでした。 彼女がしたいと願っていた筈のこと、誰もが認める勲を立てても彼女は満足できませんでした。 結局の所、戦場での名誉は真に彼女の欲する所ではなかったという事だったのでしょう。 手にしてしまってから特に欲しいものではなかったと気付くことはむなしいことでもあります。 そしてアラゴルンは、この輝かしい誉れを得た姫にやはり彼の愛を与えることはありませんでした。

アラゴルンはエオウィンの目覚めにはつきそいませんでした。呼び戻しをした後はエオメルにまかせ、部屋を去りました。ファラミアの時も、メリーの時も目を覚ますまで彼らの寝台のそばにいたのに。
こうした一見冷たく、容赦なく見える振る舞いように、しかし彼の優しさを感じます。エオウィンの想いを知っても応えられない以上は、いたずらに彼女を優しい言葉やしぐさで縛ったり、期待をもたせたりしない、という事なのではないかと思えるからです。そして、こうして決定的に、アラゴルンが自分にその愛を与えようとしないことを分かった時に、エオウィンのアラゴルンへの恋は完全に終わらされたのではないかと思いました。

終わらされてしまった恋と、願って得た筈の功に満足できないでいる自分を抱えた状態が、ファラミアと出会った時のエオウィンだと思います。

彼女が真に欲しかったのは恐らくは自分の真価を受け入れ、認めてもらうこと。もちろんそれが誰でも良いわけではありません。(極端な話、あの場にグリマがいて、エオウィンに求愛したからといって、エオウィンがその愛を受け入れる事がありえましょうか?)

初めエオウィンは、ファラミアの示す好意にとまどいとそっけなさで応対しています。そうして、会話を交わすうちに、次第にうち解け、と呼びかけるほどの好意を持つに至ります。
その時のファラミアは、エオウィンと同様に傷を負い、それからようやっと回復する途中のものでした。 エオウィンはファラミアの中に何かを見いだしたのでしょうか? 真面目さと優しさ、そして戦士としての強さ、或いはアラゴルンと共通するヌメノール風の顔立ちを見いだしたのかもしれません。 彼の中に矛盾なく同居する、穏和さと力強さ、自分に対する愛情をなんのてらいもなく表すその明らかさ

今この時、わたしにはどんな暗黒も長続きするとは信じられないのです、と城壁にエオウィンと佇みながらファラミアは口にします。 この絶望に至る道、と感じられる中にあって、希望を見いだすその強さ。滅びを身近に感じながら、他者への愛を示す事のできる靱さがファラミアにはあります。 彼女はここで、ファラミアという、アラゴルンとはまた別の、一人の勁い男性を見いだしていたのではないか、そしてこの彼に、心惹かれるようになっていたのではないかと思います。

それであなたはわたしを愛してはくださらないのか とファラミアに問われた時に、アラゴルンへの想いとは別に、ファラミアに対する愛情 ― この時点ではまだ愛というよりは好意に過ぎないものであったかも知れませんが ― を持ち得ていることに気が付いたのではないでしょうか? それだからこそ、エオウィンはファラミアの求愛に応える事を決めたのではないかと思うのです。

彼女のアラゴルンへの気持ち自体はもう決着のつけられたもの、「アラゴルンはエオウィンの愛情を受け入れられない」という事実です。これは決して変わる事がない、ということをエオウィンはアラゴルンの振る舞いから知った筈です。その事を抱え続け、ただ、自らを憐れんで、先へ進まないでいる自分というものはエオウィンの本意では決してない筈です。

 変えられない事実を受け入れ、自らを憐れむ事を止め、そして告げられた愛情を受け入れる事を自分に許し、寄せられた愛情に、自らの愛情を返す事を決めたその時に、エオウィンは真に癒されたような気がします。

その時その場所で出会った事により始まる愛情。 ファラミアとエオウィンは、お互いに、何もかもを無くしたと思えるような、素の状態で出会いました。望みを全て無くしたと思うその一方で、新たな望みを抱く事ができるのは、いかにも「人間」らしい感じがします。悲しみの中にあって、絶望のただ中にあるように思えても、地に足をつけて立ち、手を取り合う二人は、新世代の人間の男女を象徴しているようにも思えます。


イタリック体の文は著:J.R.R.Tolkien、訳:瀬田貞二・田中明子 指輪物語 評論社 より引用mmmmm03/11/25


キリ番部屋から移動04/01/10

無冠の王〜王の息子

お行きください! 重荷をお持ちになり、そしていかなる犠牲を払っても指輪の守護者にお届けください。たとえあなたの部下とわたしを見捨てても

著:J.R.R.Tolkien、編:Christopher.Tolkien 訳:山下なるや 終わらざりし物語下 河出書房新社

イシルドゥアには4人の息子がおりました。その長子がエレンドゥアです。

イシルドゥアの世継ぎであり、もっとも寵愛を受けていて、戦争の間、オロドルインでの火口以外はずっと、父に同行し、イシルドゥアの全幅の信頼を受けていました。
彼は年長の息子として、また最も信頼を受ける臣下としてイシルドゥアに仕え、その参謀として闘っていたのであろうと思います。強靱で、賢明な彼を、王も、また多くの騎士と兵士たちも共に心強く思っていた事と思います。

最後の合戦の後、ゴンドールでの戦後処理を終えて、裂け谷へ還る途中、あやめ野でオークたちの襲撃にあったイシルドゥアは、その時、3人の息子と、200名の騎士と兵士からなる親衛隊を率いていました。
救援のあてのない、勝利の望み薄い状況でのオークとの戦闘で、次々と兵士たちがたおされていく中、エレンドゥアはイシルドゥアを陣内に捜します。かれは父に秘密を打ち明けられていたので、指輪の存在を知っていました。指輪を使ってオークを退けられないのか、と聞いているくらいですから、どの程度指輪について理解していたかはさだかではありません。しかし、彼はそこで、イシルドゥアの指輪に対する懼れを知り、指輪を使ってオークを撃退することが敵わぬ事を知ります。 この時彼の中にどんな想いがよぎったかは分かりません。エルロンドとキアダンの忠言を聞き入れなかった父のあやまちを悔いても、火口で父親と同行していなかった自分に憤りを感じていたとしていも、既にどうしようもない状況です。

このままではただ兵士たちが斬り殺されて行き、弟たちも死に、自らも、そして最後には、王その人すら倒れてしまうであろう先行きを読みとり、王に進言する場面にはひどく心を打たれます。

王がオホタールに命じられたように命じるのではありませんが、とことわりおいた後で、エレンドゥアはイシルドゥアに、指輪を持って戦列を離れ、エルフの指輪の守護者の元へたどりつくよう忠言します。これは忠言の形をとってはいますが、穏やかな命令であるように聞こえます。

今この時において最も重要で、成し遂げられなければならない事が、指輪を裂け谷(なりロリエンなりへ)へ送る事、そしてアルノールの指導者であるイシルドゥアを戦列から遠ざけること、というエレンドゥアの判断には、指輪に対する客観的な視線と、王を生かそうとする、父王への愛情とを感じます。

既に指輪に捕らわれ、指輪を捨てることができず、しかし、指輪の力の強大さと邪悪さを知ったために、指輪を懼れ、自ら使うことにためらいを持っていたイシルドゥアの迷いを断ち切るような、理にかない、それでいて情のこもったこの忠言を聞いたイシルドゥアはどんな気持ちになった事でしょうか。

この別れの場面を読んでいると、エレンドゥアは、イシルドゥアを行かせた時に、すでに「」であったと、少なくとも王と同格であった、という気がします。たとえエレンディルミアをその額に掲げなくても、王笏を手にすることがなくても、彼は王と呼ばれるのにふさわしい人であったと思うのです。
(個人的には北の王国の王様の系列にイシルドゥアとヴァランディルの間にエレンドゥアを入れて欲しいくらいです。さらに捏造が許されるならば、イシルドゥアが力の指輪をはめて戦場を去る前に、バラヒアの指輪をエレンドゥアに託していたらいいのにな〜などと思います。)

エレンドゥアは第2紀3299年生まれとありますから、ヌメノールの水没の時に、20才、ミナス・イシルの陥落時に130才、ダゴルラドの最後の戦いの時に142才であったことがわかります。
こうした数々の試練や戦を闘い抜き、生き延びながら、第3紀2年、彼はあやめ野で、名もなきオークの手にかかって死んでしまいました。144才でした。
エレンディルの享年が、322才、イシルドゥアのそれが、232才。弟で王位を継いだヴァランディルのそれが260才であることを考えると、 エレンドゥアは、ヌメノーリアンとしては、人生の半ばにしてその命を絶たれた事になります。

強さと英知、よけいな自尊心のない威厳において、祖父エレンディルに一番似ていた美丈夫、いずれ王になるであろう、と予言されていたエレンドゥアは、王になることなく、命を落としました。
志半ばで死ぬということになってしまったそれは、単純な哀しみだけではなく、むなしささえ読み手に呼び起こします。

どんな英雄的な人物にも、容赦なく襲いかかる死というもの。栄光ある勝利が、必ずしも約束 されないということ、結局戦というものは、どんなにそれに大義があり、華やかな勝利が手の届くところにありそうに見えても、むなしく哀しいものであるということが伝わってきます。


あやめ野において、イシルドゥアの3人の息子たちと、およそ200名のゴンドールの騎士と兵士たちは命を落としました。

その彼らは一体どこに葬られたのでしょう。 あやめ野に埋葬されたのか、アンドゥインに流されたのか。 荼毘に付されたのか、イシルドゥアの息子たちだけでもその亡骸は裂け谷へ連れ帰られたのでしょうか。

イシルドゥアが最も近い助け手と考えたスランドゥイルですら、4日の行程のかなた、モリアとロリエンは過ぎて遠く、裂け谷は山を越えた彼方、といったあやめ野の位置、また、間に合わなかったとはいえ、差し伸べられた救援の手が、同盟者である森の民によるものであった事を考えると、(これが、ゴンドールかアルノールの手による救援であればまた話は少し変わったかもしれませんが)、恐らくは亡骸を裂け谷へ運ぶ事は困難だった事でしょう。
また、闘いの場所からアンドゥインまで7リーグ、およそ、33.6キロほどあった事を考えると、アンドゥインにその亡骸全てを流す事は考えがたいのではないかと思います。

そうなると、あやめ野において荼毘に付されたか、塚を作って埋葬されたかのどちらかであろうと思われます。指輪物語において、人間のとりわけ王族に関しては、塚を拵えて埋葬するのが習いだったようです。エダイン王家のハレス姫の塚や、指輪物語にも出てくるトムボンバディルの家から遠くない、塚山など、多くの例が見受けられます。又、指輪物語においては、ボロミアの葬送について、レゴラスが、われらは同志を相応しく葬るにも、その上に塚を築くにも、必要な時間もなく、道具もない。ただ石を積むぐらいのことはできるかもしれない、と語るシーンがありますし、又、戦争時の埋葬にしても、ローハンの王の双子の息子が、ゴンドールの助成のため、兵を率いて南イシリアンに赴き、そこで共に討ち死にした際、ローハンの騎士たちはかれら民族のやり方に従って二人を埋葬した。そして二人は一つの塚に葬られた。この塚山はポロス川のほとりにいつまでも高く聳え立っていた。と、指輪物語の追補編に語られています。ですから、これらの事を考えると、エレンドゥアたちの亡骸は、あやめ野のいずこかに埋葬され、形見として某かのものだけが裂け谷へもたらされたような気がします。

しかし、終わらざりし物語においてもあやめ野にを拵えた、という話は書かれていません。 塚は作られたかもしれませんが、その塚は時代が下るにつれて、失われてしまって、(いわゆる荒れ地の国なので、オークや、狼、トロル、やその他モルドールの勢力のために)今では誰もその場所を知らない、という事になってしまったのかもしれません。200名を葬る塚といえば相当に大きく、 簡単にはなくならないもののような気もしますけれども。

いずれは王となる身と予言されたエレンドゥアは、今となっては誰もその場所を定かにできない、荒れ地の下で眠っている、と思うと、どこか荒涼たるイメージが強まります。


エレンドゥアから下ること38代、ゴンドールとアルノールの両王国を統べる事になったアラゴルンは、このエレンドゥアに外見も内面も似ていた、と書かれています。
二人を共に知るエルロンドをはじめとしたエルフたちは、どんな思いでアラゴルンの成長を見守ったのだろうかと思います。かつてのエレンドゥアを思い起こさせる姿と、心根に、エルフたちはある種の懐かしさ、エレンドゥアが手にする事のなかった王位を、アラゴルンが持つことになろうという期待と希望が交じった感情を持ったかもしれません。

エルロンドは、20才になったアラゴルンに彼の出生について教えますがそのときに、アラゴルンの寿命について、次のように言っています。
そなたに災いが降り懸かるか、試練に失敗することがない限り、人間の標準よりずっと長いものに なることが私には予言できる

いかに資質に優れ賢明で、強く、また、過ぎる自尊心に捕らわれる事のない人間に成長したとあっても、人間はあやまちを犯しうるし、また災厄に捕らわれて使命を達せられない事もある、ということをイシルドゥアの選択や、あやめ野の惨劇を思い返しながら、エルロンドは口にしたのかもしれません。

アラゴルンは、サウロンを滅するためのキーマンになりうるであろう、という事が、恐らくは エルロンドの予兆にあり、それがために本名を隠すさいの通り名に、「エステル」と名付けられたという事であるかとは思いますが、あくまでそれは、予兆であり、なりうる可能性であり、確定した未来ではなかった筈です。エレンドゥアのように、使命を果たさぬままに命を落とす可能性もある、という懼れを、アラゴルンに対してエルロンドは持っていたかもしれません。
とりわけ、顔立ちも、性質も似ていたとすればより一層の親和性を慮ったかもしれません。 もちろん、エルロンドは、アラゴルンに対しては、使命をなしとげるであろう希望と信頼の方を より強く持っていた事ではあると思いますが。


アラゴルンが旅をしていたころ、あやめ野を通ることもあったでしょうか、彼が遠くいにしえの人を 忍ぶ姿が目に浮かぶようです。
イタリック体の文章は上記邦訳本より引用mmmmm04/01/10


キリ番部屋から移動04/04/12

「9つの指輪」― ナズグルの過去について

かれらはかつての王であり、妖術師であり、戦士であった

著:J.R.R.Tolkien、編:Christopher.Tolkien 訳:田中明子 シルマリルの物語
力の指輪と第3紀のこと 評論社



ナズグルとはモルドールの黒の言葉で、西方語で指輪の幽鬼を意味する言葉です。 彼らはもともとは偉大な人間であったのですが、サウロンに誘惑され、与えられた指輪の、そしてサウロンの僕となりました。 そして彼らは首領にアングマールの魔王を抱き、恐るべき不死の存在になってミナス・モルグルの砦によってサウロンを助けました。 彼らの最も恐るべき力は物理的な殺傷能力ではなく、彼ら自身が放つ恐怖の気配「恐怖」そのものであると言われており、指輪物語本編でも、破壊的な絶望で心を刺し貫くと書かれています。サウロンの手にある恐怖の槍、絶望の影とは、ガンダルフがアングマールの魔王をさして言った言葉ですが、この言葉からも、同じ事が読みとれます。

この恐怖の源、ナズグルの経歴と過去ですが、トールキンの著作物の中であまり語られていません。 はっきり書かれている事は、

サウロンの指輪で誘惑されたこと。
かつては、偉大な人間の王であり、妖術師であり、戦士であった、ということ。
三人はヌーメノール人の偉大な諸侯で、一人は東夷であったということ。
首席がアングマールの魔王で、次席が東夷のハムールであったこと


くらいです。

また呼び名も個別の名前は全員分は書かれておらず、はっきり個として呼ばれているのは指輪の幽鬼の首領、アングマールの魔王と、首領につぐ地位の東方の影ハムール、ドルグルドゥアのハムールの2名のみです。
(このアングマールとは、第3紀の1300年頃に、サウロンから使わされた指輪の幽鬼の首領が、霧降山脈の北の限近く、エテン高原の北方に作った王国で、後に、アルノールから分裂した北方三王国の滅亡の主原因となった国です)

又指輪が作られた時期を考えると、第2紀の1700年頃以降に台頭してきた者たちであること(一つの指輪が作られたのは、1600年ころ、また、エルフとサウロンとの間で闘いがあり、エレギオンが落ちたのが、1697年と追補編にあります)が考えられます。

これはトールキン教授が、全てをあえてかっちりと設定しなかったということなのかもしれませんが、教授の中ではナズグルたちを個々の存在というよりも、あえて、「個」を排除し、「ナズグルという存在」の集団として意識されていた、という事のかもしれません。

指輪の奴隷になる前までは、それぞれが、強大な能力を持つ人間であり、恐らくは指輪持つ以前からも人々から畏怖の念を持って遇され、その名前は当時、知らぬものがないほどだったのかもしれません。しかし、そんな彼らが、指輪の幽鬼となってからは、名前は忘れ去られ、あるいは、かつての名前を口にすることが憚られるようになり、ただ、恐怖の体現者という存在としてのみ、人々の口の端にのぼるようになった、という事で、ナズグルという存在の異常さ、人間の時の個としての存在が消え、闇に堕ちたものという記号化された存在として書かれているのかもしれません。

トールキンはそのナズグルたちの設定の中で、彼らは魔王以外は、ひとりで日の光にさらされると混乱しがちであり、水を怖れ、かれらの主な武器である、恐怖は、寄り集まった時にいっそう力を増した。と書いています。これらの事は彼らが集団で行動する理由になっていますが、ここからも、ナズグルが集団としての力が強いことが読みとれます。
(逆に魔王は日の光も、水も懼れず、ナズグルの中では他と一線を画したものと記述されています。この魔王ですが、Witch-king,Witch-lord,と書かれ、ゴンドールの包囲の時に、門を壊す時に魔法を使っていますので、彼は前歴は妖術師なのかもしれません。もちろん妖術師であり、戦士であり、王である、という可能性もあります。ナズグルたちの王ですから、実はそれぐらいスゴイヒトだったのかもしれません。或いは魔法はサウロンから習ったのかもしれません。)


人間に与えられた9つの指輪は、第2紀の中頃、1500年頃エレギオンで作られた、エルフの指輪のうちの9つです。このころ、サウロンは、その本心を隠してエルフたちに近寄り、特に、エレギオンの細工師たちに受け入れられました。エルフの細工師たちは、サウロンの手を借りて力の強い指輪、偉大な指輪、魔力の指輪を作りました。しかし、これらの指輪は、サウロンの一つの指輪の支配下にあり、それに気付いたエルフたちとの闘いの末に、これらの指輪は、サウロンに汚されなかった3つを除いて、全て、サウロンの元に集められました。それらからあらためて人間達に与えられたものが、そのうちの9つの指輪です。

映画の9つの指輪のデザインはかなり禍々しいものです。、The Lord of the Rings: Weapons and Warfare : An Illustrated Guide to the Battles, Armies and Armor of Middle-Earthによれば、人間に与えられた指輪は、一つを除いて、銀でできており、目のように見える赤い琥珀の石がはめ込まれていた。そして残りの一つは、銀と金とでできており、はめこまれた石はしみのない琥珀であった。とあります。この本には、9つの指輪に関しては発見されたサルマンの書類に明らかにされている、とありますが、これは映画のみの設定かもしれません。いくらサウロンが手を貸したとはいえ、このデザインは、エルフの金銀細工師が納得するものとは思えません。しかしかれ(サウロン)は、自分が支配しているこれらの指輪をすべて邪悪なものに歪めたという記述もシルマリルの物語にありますので、作られた時はエルフの指輪らしい、美しい作りの指輪であったものが、サウロンの支配により、目に見える姿も歪んでしまったのかもしれません。


かれらは終わることのない命を持つように見えた。
かれらはその気になれば、天が下を白昼、誰の目にも見られずに歩くことができ、有限の命の人間の目には見えない領域の事物を見ることができた。
著:J.R.R.Tolkien、編:Christopher.Tolkien 訳:田中明子 シルマリルの物語
力の指輪と第3紀のこと 評論社


9つの指輪もそれを使うことで、寿命が伸び、姿を消すことができたようです。これは9つの指輪がより強く一つの指輪の影響下にある、という事の現れなのでしょうか?。

しかしこれらの力はエルフたちが作った偉大な指輪にもともと共通する属性とも考えられます。少なくともエルフの3つの指輪は、時による身の衰えを防ぎ、生への倦怠を遅らすことができたからであると書かれているからです。

エルフの3つの指輪とドワーフの7つの指輪も、姿が消せるという力はあったのでしょうか?

ドワーフの指輪に関してはシルマリルの物語によれば、かれらは富を得る手段としてのみ指輪を用いたとありますので、そういった力はあったけれどもドワーフは使わなかったという事かもしれません。ドワーフは頑固で、他人の支配を受けつけず、また指輪の力も富に対する事限定で使ったために、指輪でサウロンに支配され、指輪の奴隷、指輪の幽鬼となることなく、終わったのかもしれません。怒りや欲望のために、良くないことが起こって、結果としてサウロンの益となる結果にはなっている訳ですけれども。またドワーフが、種族として強健だったため、姿を隠す力は発動しなかったかもしれません。指輪物語の追補編にドワーフの指輪に関して、たとえ殺されようと、砕かれようと、かれらは別の意志に隷属する影の存在となり果てることはなかった。また同じ理由でかれらの寿命も指輪による影響を受けなかったとあります。これを読むと、ドワーフに与えられた指輪に、ドワーフの姿を隠す力はなかった感じもします。

エルフの指輪に関しては、記述を捜す事はできませんでしたが、 ガラドリエルの指輪が、ロスロリアンで、フロドにだけ見え、サムに見えなかったという記述を見ると、エルフの持つ指輪にも、存在を隠して置くことができる力というものがあるようにも思われれます。

もともと偉大な指輪には大きな力が込められていて、それが、使うものの、意志や、使うものの器量によって、その力の発現具合が変わるということであれば、 人間に与えられた指輪はサウロンによって歪められてしまったために、全てが悪しき影響を与える事になったのかもしれません。また人間が弱い存在のために、また死すべき定めのものであるがゆえに、長寿は倦怠となり、姿を消す事は、己の存在そのものを薄れさせることになったのかもしれません。そういう意味においては、例え、サウロンに汚されていなかったとしても、エルフの偉大な指輪は人間が身につけるには荷の重いものなのかもしれません。


それぞれの持って生まれた力や、出発点でそれぞれが懐いた意図の善悪に従って、早い晩いはあるものの、次々と自分たちが身に帯びる指輪の奴隷となり、サウロンの持ち物である一つの指輪の支配下に入ったのである。
著:J.R.R.Tolkien、編:Christopher.Tolkien 訳:田中明子 シルマリルの物語
力の指輪と第3紀のこと 評論社


これと同じようなことは、指輪物語の過去の影でガンダルフがフロドに語っています。 指輪の幽鬼、ナズグルたちの中にも、そのはじまりは、悪い者ではなかったものもいたということなのでしょう。例えば最初の動機が、王であれば自国を隆盛させ、民を守りたかった、というものであったり、戦士であれば己の力を強くし、主君につくし、国を守ろうというものであったのかもしれません。 己の力を持ってすれば、偉大な指輪といえども、従え、使いこなす事ができるという、自分の力に対する、高慢と紙一重の誇りが、或いは、サウロンの支配力の凶悪さが、彼ら、人間の王たちを損なわせ、結局は、指輪の力に屈してしまい、もともとの意志(それが良きものであっても悪しきものであっても、)はねじまげられ、全てを失って、暗黒の王の支配下に入ることになったのかもしれません。(これは後代のゴンドールのパランティアの使用におけるデネソールの立場とも似ている感じがします(彼の場合は正統な使用者ではありましたが)。)良き志も強い力も続かない、というガンダルフの言葉は、人間が、誘惑に弱く、自らの驕りにおぼれやすい、弱い存在である事を指していて、人間の身としては哀しい感じがします。


ナズグルたちは、指輪によって、サウロンの支配下にありました。その支配力は強力で、それは、彼らが自身の手に力の指輪を得たとしても、それを自分のものにしようとしないだろう、という程で、サウロンへの裏切りはありえない服従でした。彼らは、サウロンの力の進展の度合いにより、その力を増減させ、常にサウロンと共にあり、オロドルインの火口で力の指輪が滅せられた時に まさしくサウロンと運命を共にし、彼らもまた滅びました。

かつての人間の王、あるいは戦士、あるいは妖術師であった彼らが、滅んだ後どこへ行ったのかは、どこにも書かれていません。
彼らはまったくの無となったのか、或いはかつての人間であるが故に、他の人間と同様に、イルヴァタール以外は知ることのない、死した後に人間が行く場所へ行ったのか、それらの事は、彼らの過去と同様、誰も知ることがありません。


 追記:トールキンが書いたものに表れてくる、ナズグルの過去は大分あいまいですが、これとは別に、ある程度、共通認識された詳細なナズグルの過去設定があります。 それは、Iron Crown Enterprises(ICE社)という、ゲーム会社が、作った設定です。ICE社は、ボードゲームやカードゲームを作っていた会社で、そこでMiddle Earth Role Playing gameというゲームが作られました。そのゲームをプレイする上で、原作にはない部分を埋めるような、細かな設定がゲームオリジナル設定として追加されました。その設定資料にナズグルの過去がかなり詳しく述べられています。
その設定によれば、ここでは詳しく述べませんが、3人がヌメノール人東夷が一人というトールキンの設定をいかした上に、ゲームオリジナルの設定が加えられており、女性も1名おります。又、9人の各々の版図も定められています。ただその設定では、9人とも初めから悪に傾いているような設定のようです。
トールキンが残したものではないのですが、二次設定として割り切って知る、楽しむのはおもしろい設定だと思います。 またこの設定を加味したコンピュータゲームでは、angband(及びその先行、後発変異ゲーム)が有名です。


イタリック体の文章は 邦訳本より引用mmmmm04/04/12